マザーハウス・山崎大祐は、どのように想いをカタチにしてきたのか
途上国から世界に通用するブランドをつくる——そんな想いを掲げ、2006年にバングラデシュでバッグの製造を始めたマザーハウス。2023年現在、6カ国にバッグ・ジュエリー・アパレルの工場・工房を持ち、世界3か国で47の自社店舗を展開しています。
そんなマザーハウスを、代表の山口絵理子さんとともに作ってきたのが、副社長の山崎大祐さんです。しかし、マザーハウスの共同創業当時、山崎さんはまだゴールドマンサックスの社員でした。
誰もが羨むようなキャリアを捨てて、なぜマザーハウスで働くことを選んだのか。自ら「タイプが違う人」と表現する山口さんと、どのように一緒に会社を作ってきたのか。さらに、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という想いをどう実現してきたのか。理念を持った経営者を育成するゼミも主催する山崎さんから、想いをカタチにするためのヒントを伺います。
株式会社マザーハウス 代表取締役副社長
山崎 大祐(Daisuke Yamazaki)
1980年東京生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、ゴールドマンサックス証券にエコノミストとして入社。創業前からかかわってきた(株)マザーハウスへの経営の参画を決意し、07年に取締役副社長に就任、19年から代表取締役副社長に。途上国を中心に海外を飛び回り、マーケティング・生産両サイドに携わっている。「思いをカタチにする」経営ゼミ「Warm Heart, Cool Head.」を主宰。(株)Que社外取締役、日本ブラインドサッカー協会外部理事を務める。
POINT
- 自分の利益を超えて他者を思う「利他の心」が経営の鍵
- みんなが価値を共有できる組織には、「大きな物語」と「小さな物語」がある
- 小さくてもさまざまな価値が認められる、多様で豊かな社会へ
目次
資本主義の不条理について語り合った学生時代
—— 山崎さんがマザーハウスを創業し、今もまだ挑戦を続けている原点には、どんな想いがあるのでしょうか?
僕の原点は、母子家庭で育った過去にあります。学生時代から生活費を稼ぐためにアルバイトをしていて、なかなか大変な日々を過ごしていました。奨学金で大学にいけたのは幸運でしたが、社会の不条理を感じていたんです。
社会や経済について本格的に学び始めたのは大学に入ってからです。きっかけは、ベトナムのストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことでした。貧困や格差で苦しむ人のために何かできないかと計画したのですが、そこで予想外の光景を見ました。
ベトナムの子どもたちは、貧しい生活のなかでも、明るく前向きに夢を語っていたんです。「貧しさとはなにか、本当の豊かさとはなにか」を考えさせられました。
それから豊かさの正体を探して経済学にたどり着き、大学の経済ゼミに入ることに。山口(マザーハウス 創業者山口絵理子)は、そのゼミの1年後輩です。大学時代から僕らは、資本主義によって取り残される人がいること、貧困をなくすにはどうしたらいいかなど、社会の問題について語り合いました。
—— 卒業後、お二人は違う進路に進みましたね。
そうですね。僕はあえて金融資本主義のど真ん中を知るため、ゴールドマンサックスでエコノミストとして働き始め、山口は途上国の現場を知るため、当時アジア最貧国だったバングラデシュの大学院へ進学しました。
彼女がマザーハウスのバッグ第一号を作ったのは、このタイミングです。
きっかけは、大学院に通いながらインターンしていた商社で、現地のアパレル工場を見学した時のこと。欧米企業によって、1枚1ドル以下の安い服を作らされている現地の職人たちを見ました。大企業の儲けのために低い賃金で働かされ、貧困から抜け出せない構造に疑問を持った山口は、彼らにいい環境で働ける場所を提供したいと、現地のジュートという麻を使ったバッグの製造を始めたんです。
—— この時はまだ、山崎さんはエコノミストとして働いていました。どのようにマザーハウスの創業に至るのでしょうか?
数年後、大学院を卒業した彼女が「山崎さん、バッグを作ったので買ってください!」と、僕のところに来たんです。持っていたバッグは、途上国で作られたとは思えないクオリティでした。それを見て彼女の行動力に感化された僕は、活動を手伝うことにしました。
本格的にやるなら会社があったほうがいいとなり、資本金を出し合ってマザーハウスを設立。とはいえ、僕はまだ普通の会社員です。当時はプロボノのような関わり方をしていて、今のようにフルコミットで働くとは思っていませんでした。
ビジネスの可能性、難しさ、楽しみを知って副社長へ
—— 本格的にマザーハウスへの転職を決められたのはなぜでしょうか?
大きくは3つのきっかけがありました。
1つ目は、とある経営者との出会いです。たまたま一緒に食事をした際、「いま注目しているビジネスはなんですか?」と聞いてみると、その方は「ミドリムシ」と答えました。続けて「純粋培養してカプセル化できれば、途上国の人たちの栄養不足も解決できるかもしれない」と熱く語ってくれたんです。
どう儲けるかの話ではなく、事業のミッションについて話す姿を見て、ビジネスへの興味が湧きました。面白いと思うものを突き詰め、それが多くの人の困りごとを解決すればビッグビジネスになる。社会になにかしらの影響を与える手段として、ビジネスは効率がいいのだと知ったんです。
2つ目のきっかけは、マザーハウスを創業してまもなくのこと。百貨店催事でバッグの販売員を経験したんです。朝10時から夜7時まで、店頭で呼び込みをしたのですが、売れたバッグはたったの1つ。そこで初めて「15,000円のバッグを売ること」の難しさがわかりました。
エコノミストとして、何十億、何百億の資金の流れを見ていましたが、経済のことなどなにも理解していないと気付かされたんです。なにも知らないまま、偉そうに経済を語る人間にはなりたくないと会社を辞めることにしました。
—— ビジネスの可能性と難しさを知ったんですね。3つ目のきっかけはなんですか?
3つ目は、山口が当事者意識を持ってビジネスに取り組み、すごいスピードで成長していく姿を見たことです。
当時はSNSもなく、バッグが全然売れなかったので、僕の家に商社やコンサルで働く同世代の仲間を集め、夜な夜な販売会議を開いていました。本当に売れなくて苦労しましたが、その試行錯誤のなかで、彼女は貪欲に色々なことを吸収していったんです。
一方、僕は会社の仕事に対してどこか他人事で、「いい修行の機会だ」くらいにしか思っていませんでした。強烈なオーナーシップを持ってコミットしている彼女には、まったくかないません。それと同時に、必死になって仲間たちと議論している時間の楽しさを感じていました。
ビジネスの可能性に気づき、ビジネスの難しさを知り、そして、当事者意識をもってビジネスに取り組む意義と楽しさを知った僕は、気づいたらマザーハウスの副社長になっていました。
—— 決め手となったのは、山口さんの存在でしょうか。
そうですね。彼女は、僕の持っていないものを持っている人です。考える前に、とにかく行動できる。当時の僕は、考えるばかりで行動が不足しているタイプでした。まったく性格は違いましたが、彼女となら面白いことができそうだと思ったんです。
だれかと一緒に作るなら「利他」が肝心
—— それから社長・副社長として、どのような役割分担で事業を進めてきたんですか?
創業した当初は、そんなことまったく考えなかったですよ。ふんわりとした得意領域はあったかもしれませんが、すべてのことを一緒にやってきました。そのスタンスは今でも意識しています。プロダクトやデザインについての議論も2人でしますし、クリエイターだと思われているかもしれませんが、山口は経営のすべてに関わっています。
役割分担をなるべくしないようにしていたことが、一緒に続けてくることができた理由です。役割の重なりが大きいほど、必然的にぶつかることも増えますが、だからこそ理解しあえたんだと思います。
—— どんな人であれば、タイプが違ったとしても一緒に活動できると思いますか?
まずは共通したミッションを持っていることです。登り方は違ったとしても、目指すべき山が一緒であること。
その上で「利他の心」が大事だと思います。利他とは、自分の利益を超えて、他者を思えるかということ。お互い「この人は、自分のためにやっているわけじゃない」と信じられるなら、衝突も乗り越えていけます。
途中で空中分解してしまう会社やプロジェクトには、「利他」が足りていないことが多いように思いますね。
—— 利他の心は、最初から持っているのでしょうか。それとも育めるものでしょうか?
育めるものだと思います。最初から利他の心を持っている人ばかりではありません。山を登り始めるモチベーションは、人それぞれです。
先日、登壇した経営者が集まるカンファレンスで、面白い話を聞きました。100億〜200億規模の会社の経営者でしたが、彼らの志の原点はバラバラだったんです。会社を継いだ人や、僕のようにだれかに誘われた人、辛かった原体験がモチベーションだという人もいるし、なにかを見返してやりたいみたいな人もいました。
でも結局、山を登り続けていくうちに、利他の心を持つようになったと言うんです。
—— 興味深い話です。
みなさん同じように言っていたのは、ミッション、つまり山頂を目指して登っていると、辛すぎて、逆にミッションのことなんか考えられなくなるということです。しんどすぎて、とにかく登り続けることが大切になってきます。
そんなときに「金持ちになりたい、評価されたい」といった自分のための欲求では、登り続けられないんです。自分を優先させるなら、途中で事業を売却したほうが楽ですからね。
ひたすら登り続けるには、個人の成功以上に目指しているもの、だれかのためになりたいという想いが必要です。続けていくなかで、利他の心が磨かれていく人が多いのかなと思います。
届けたい価値を、届けるためのHOWを磨く
—— マザーハウスのビジネスの難しさやしんどさは、どのようなところにありましたか?
「途上国の価値」を、みんなに気づいてもらうようにするのが大変でした。創業当初はだれも「途上国でいいものを作れる」なんて思っていなかったし、評価もしてくれなかったんです。40年前だったら「日本人の職人の仕事を減らす」と批判されていたかもしれません。
そこで、マザーハウスは徹底的に「ファッション」に寄せました。「途上国の価値」を直接伝えるのではなく、プロダクトのファッション性というHOWの価値を磨き、伝えてきたんです。
—— アプローチの方法はどのように考えればいいんでしょうか?
アプローチのやり方は、「左脳的 or 右脳的」×「プラス or マイナス」のマトリクスで4種類に分けられます。左脳は理論で説明するアプローチ、右脳は感性に働きかけるアプローチ。プラスはポジティブな、マイナスはネガティブなアプローチです。これらを自分の伝えたい「価値」にあわせて、組み合わせる必要があります。
また、アプローチの方法を考える上では「だれに届けるか」が重要です。マザーハウスが「途上国の貧困を解決したい人」だけに価値を届けようとしていたら、違うアプローチをとっていたと思います。
僕らはそれよりももっと広げて、「途上国には関心がないけど貧困には問題意識を持っている人」や「単純に素敵なバッグが欲しい人」といった層にまでアプローチしたかった。だからプロダクトのファッション性というHOWを選んだんです。だれに対して、どう届けるかを明確にし、HOWを磨いていくことが大切だと思います。
—— 価値を届けるのは、顧客だけではなく、社内のメンバーに対しても同じだと思います。マザーハウスはアルバイトも含め900名のメンバーが所属していますが、どうアプローチしていますか?
同じようにプロダクトを通して価値を伝えてきました。プロダクトは、製造・流通・販売と、関わるすべての人がかならず触れます。そこに価値を込めるようにしてきました。
今でも新作ができたときは、山口みずから、プロダクトの背景を丁寧に伝えています。職人さんにも登場してもらって、イベントのような場を設けることもある。
これは有形の商品だからできるのではなく、無形のサービスでも同じことです。そのプロダクト、サービス、プロジェクトが、だれにとってどんな価値になっているのかを語ることが大事です。
ビジョンやミッション、バリューといった、「大きな物語」も大事ですが、それと同時に、だれの人生がどう変わったのかという「小さな物語」をセットで伝えていくことが、価値を信じ続ける組織でいるためには大事なことだと思います。
何者かではなく、なにをしたいかを語ろう
—— 山崎さんは2018年から「想いをカタチにする経営ゼミ」を主催し、想いや価値をカタチにしようとする人を多数輩出してきました。なぜ、このような活動を始めたんですか?
「想いをカタチにする経営ゼミ」は、1億円の事業規模を目指すものと、10億円の事業規模を目指すものの2つがあるのですが、僕は特に、1億円規模でサステナブルかつ面白い会社が、何百何千とあるほうが、世の中が豊かになると思っています。
そのほうが、多様な価値が認められる社会と言えるからです。金融資本主義的な「scale is good」の世界では見過ごされてきた価値を、1億円規模の事業として表現する経営者を育成しています。
—— 金融資本主義的な世界で見過ごされてきた価値ですか……。
金融資本主義が求めるユニコーン企業になれるのは、基本的にはプラットフォーマーです。しかし、そのプラットフォームの魅力を支えているのは、面白いコンテンツの数々。旅行を検索できるプラットフォームに価値があるのは、多種多様なツアーがあるからです。
それにもかかわらず、いまの経済の仕組みは、コンテンツクリエイターへのリスペクトに欠けていると思うんです。プラットフォーマーが利益を搾取する構造になっています。結果的に、プラットフォーマーになりたい人が増え、純粋にコンテンツを作る人は減っています。
だから僕は、1億円規模の事業やコンテンツを作る人たちを増やしたいと思っています。さまざまな価値が世の中に認められるようになれば、社会はもっと多様で豊かになるはずです。
—— 一人ひとりが小さくとも「価値」を作れる、届けられる社会こそ豊かなんですね。自分なりの価値をカタチにしようと思っている人は、なにから始めるといいでしょうか?
自分がやりたいことや問題だと思っていることを、めちゃくちゃ人に話すことですね。僕も自分で一歩目を踏み出したわけじゃありません。大学時代に山口と語り合っていたからこそ、彼女がバッグを持ってきてくれました。
ゼロから自分で始められる人は、そう多くないと思います。山口のような人は外れ値。みんながなる必要はないけれど、そうした人たちに出会ったり、必要とされたり、声をかけてもらったりする確率をあげることならできます。
想いを語る際に大事なのは、「何者であるか、よりも、何をしたいか」を語ることです。日本人は「何者であるか」をすごく大事にしますから、意識しないと難しいと思います。あえて仕事モードの自分ではなく、人間としての自分が問われる場所に行ってみてください。
たとえば、経済的なリターンはなくとも応援したいと思える活動に関わってみるのがいいと思います。その場に関わること自体がリターンだと思える場所なら、自然と人間的な部分が出てきやすくなります。
純粋な想いを語り続けることで、仲間が増えたり、その想いがより明確になったりします。自分なりの価値をカタチにしたい人は、ぜひチャレンジしてみてください。