【前編】データ利活用第三の道「情報銀行」がもたらす、哲学とアイデア勝負の社会
日本のデータ利活用が大きく動き始めた。2021年9月にデジタル庁が発足。2022年4月には改正個人情報保護法の施行を控える。
GAFAやBAT(Baidu:バイドゥ、Alibaba:アリババ、Tencent:テンセント)が世界経済を席巻する中、これまで「データ後進国」と言われ続けてきた日本。そんな日本がパーソナルデータの保護と利活用を両立させる方策として打ち出したのが「情報銀行」だ。個人情報を特定の企業が独占するのでも、個人が自己責任で管理するのでもない“第三の道”として、世界から注目を集めている。情報銀行の普及によって、企業や個人が得られるメリットとは。その先に導かれる新しい社会像とは。
『情報銀行のすべて』(ダイヤモンド社、2019年)の著者であり、株式会社NTTデータにてパーソナルデータ利活用分野を牽引する花谷昌弘氏に話を聞いた。
本記事は、前編・後編の二本立ててお届けします。(後編の記事はこちら)
POINT
- 「パーソナルデータは第二の石油である」
- 特定の企業が大量の個人情報を保有する”第一の道”、個人が自分の個人情報を管理する”第2の道”、個人情報を預託する”第3の道”
- 情報銀行の構想や実装に向けた動きは、日本が先陣を切っている
- 情報銀行は、生活をより豊かにするためにある
株式会社NTTデータ
金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長
花谷 昌弘(はなたに・まさひろ)
1996年NTTデータ通信株式会社(当時)入社。2004年まで、主にシンガポール、マレーシアでの海外事業に携わる。09年より、マイナンバーに関する社内での新規ビジネス創発を主導。16年より、パーソナルデータビジネス、ブロックチェーンビジネスなどの新規ビジネス創発を主導し現在に至る。18年内閣府総合科学技術・イノベーション会議データ連携基盤サブワーキンググループ委員。My Data Global会員。
情報銀行は、“データ後進国・日本”の革新的な一手
── パーソナルデータ利活用の話題になると、“データ後進国・日本”という言葉が枕詞のようについて回ります。やはり日本はパーソナルデータ利活用の分野において「遅れている」のでしょうか。
遅れている点が多々あるのは事実ですが、実は遅れていない点もあります。2つの側面からそれぞれお話ししましょう。
まず、「遅れている」面について。
2011年1月に、世界経済フォーラムが「パーソナルデータは第二の石油である」と発表する(*1)と、多くの国や企業がパーソナルデータを活用したビジネスへと動き始めました。最初に動いたのがGAFAであり、その後に続いたのがBATです。私たちは、彼らが構築した「特定の企業がパーソナルデータを大量に収集・活用する」エコシステムに知らず知らずのうちに組み込まれ、その結果、生活は格段に便利になりました。
その流れに対し、米国の巨大プラットフォーマーたちに自分たちのデータが吸い上げられる状況に異議を唱えたのが欧州。個人情報は個人のものであり、特定の企業ではなく個人が管理すべきだと主張しました。
特定の企業が大量のパーソナルデータを保有する米国・中国と、個人が自分のパーソナルデータを管理する欧州。近年、パーソナルデータを取り巻く議論には、この2つの大きな潮流が存在しています。日本は、こうした個人情報の取り扱いに関する流れにおいて、完全に遅れをとっていると言わざるを得ません。
パーソナルデータの「保護」のみならず「利活用」の面でも日本企業は遅れています。「データを利活用するのは重要なことである」という考え方がようやく浸透してきたところです。重要とわかっていても、自社にどんなデータがどれだけ存在するのかわからない。データを使って何ができるかわからない。多くの日本企業が、そうした状態から前に進めていないのが現状です。
一方で「遅れていない」面とは何か。
それが今回のメインテーマである「情報銀行」です。
情報銀行とは、パーソナルデータをお金のように「預託」して運用を任せ、その代わりに「便益」を得る、日本発の個人情報預託の仕組みです。
情報銀行は、一般社団法人 日本IT団体連盟が、総務省が策定したガイドラインにもとづいて認定を行い、国が定めた方針にもとづいて、民間企業が運営します。データを一社で独占するのではなく、「個人からパーソナルデータを預かり、必要に応じて企業に提供する」という、仲介役を担う点が特徴です。
一つの企業が大量のパーソナルデータを保有する米国・中国と、個人が自分のパーソナルデータを管理する欧州。情報銀行は、その“いいとこ取り”をしたものといえます。世界的にも、パーソナルデータ利活用の「第三の道」として非常に関心が高く、各国からさまざまな問い合わせを受けたり、同様の業態が米国・英国でも構想されつつあったりします。情報銀行の構想、そして実装に向けた動きについては、日本が先陣を切っているといえるでしょう。
── 日本が、情報銀行という「第三の道」をとるに至った理由をどのように考えますか。
「諸外国に負けないよう、自国のデータは自国で管理・利活用すべきだ」という意見の方も多いのですが、私の考えは少し異なります。私が情報銀行を考えるときの起点となっているのは、「少子高齢化が進む中、地域の元気がどんどん失われてきている」という現状です。
例えば、私が中学生時代を過ごした岐阜県岐阜市では、毎日の通学に使っていた市営バスが最近になって廃業してしまいました。幸い、民間企業が路線を買い取り運行は続けられていますが、もし買い取ってもらえなければ、その地域は交通手段を完全に失っていました。
この状況を見て、私は「こういうことが起こるのは、今ある資源が効率的に使われていないからではないか?」と問題意識を持ちました。街がさまざまな変化を遂げても、バスの運行ルートや停留所の数・場所といったものはなかなか改定されません。「新しくショッピングセンターができたから、利用者を増やすためにバスのルートを見直そう」といった改善を、データにもとづいてスピーディに行うことができれば、バス路線という今ある資源を最大限に有効に活用して、住みよい暮らしを継続できるのではないかと思ったのです。
もう一つ例を挙げてみましょう。山間部に住んでいて、街中の病院に通院しているAさんがいるとします。もし、「Aさんは毎週木曜日の午前中に通院している」という情報が何らかの形で共有されていれば、山間部に荷物を届けに来た宅配便のトラックが、Aさんをピックアップして病院に連れて行くことができるかもしれません。
こういうことが実現できたら、非常に効率的だと思いませんか? 荷物を届け終わった宅配便のトラックの空きスペースが、Aさんを病院に送り届ける運賃に変わる。Aさんと運送会社、どちらにとってもメリットがあります。
少子高齢社会において、今ある幸福度や経済レベルを維持するには、このようにデータをうまく活用していく必要があります。諸外国と闘うためではなく、生活をより豊かにするためにパーソナルデータ利活用を促進するのが、情報銀行だと考えています。
(*1)総務省「平成26年版 情報通信白書」(2014年)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h26/html/nc133000.html
情報銀行の要諦は、個人情報の「預託」ではなく「運用」
── パーソナルデータを有効に利活用することで、社会を全体最適化し、企業と個人がWIN-WINになる世界。それは欧州で運用されているパーソナルデータストア(*2)でも実現できるように思えますが、パーソナルデータストアと情報銀行は何が違うのでしょうか。
パーソナルデータストアと情報銀行の違いは、預かったデータを提供する相手を審査する機能の有無です。
これはまさに、金融の世界で銀行が行っているのと同じことで、銀行が融資する際には、融資先企業について「反社会的勢力とのつながりがないか」「倒産のリスクがないか」など、さまざまな観点からチェックを行います。「データ提供先の企業は問題のない相手なのだろうか? 紛失・悪用の恐れはないだろうか?」─パーソナルデータの流通・利活用における私たちの心配事の一つを解消するのが、情報銀行の審査機能です。
この機能が、パーソナルデータストアには実装されていません。パーソナルデータストアは、銀行に例えると「貸金庫」。データを預かるための安全な場所を提供するという極めてシンプルなものです。データを貯めるのも、引き出すのも、運用するのも、本人の自己責任。「個人中心」の価値観を背景とした、欧州らしい仕組みと言えます。
これによって欧州が現在直面しているのが、データの利活用が思うように進まないという問題です。「せっかく安全なところに預けているので、わざわざ外に出すのは避けたい」という意識が働いているのです。パーソナルデータの流通・利活用に対する日本人の心理的ハードルは非常に高いものの、仕組み・制度は欧州よりもはるかに安心・安全なものを用意できており、データが流れやすい環境が構築されつつあると思います。
(*2)パーソナルデータストア : これまで企業等に管理されていた自分の情報(名前、住所などの属性情報から、いつ何を買ったかという購買情報などの企業側で管理していた情報まですべて)を企業等から取り戻し、自らが蓄積・管理するために必要となるパーソナルデータの保管場所。
── 情報銀行は、パーソナルデータを預かるだけでなく「運用」も担う構想があるようですね。
お金に関しては、「私たちから預かったお金を、銀行がプロフェッショナルの目線で融資・運用して増やし、私たちに還元する」ということが、当たり前のように行われています。現在認定されている情報銀行で、「運用」に着手している企業はまだありませんが、同様のサポートを情報銀行が行うことは十分に考えられますし、実際に認定事業者の中には、運用を含めたビジネスプランを策定しているところもあると思います。
お金の場合と異なるのは、情報は運用(企業への提供)の際に必ず本人の許諾が必要という点だけです。
極めて個人的な例なのですが、私はここ10年ほど尿酸値が非常に高く、いつ痛風を発症してもおかしくない状況なのですが、幸いにして健康そのものの生活を送っています。例えば、私のような人のデータが情報銀行に預けられていた場合、情報銀行は私に「あなたのデータはとても希少ですので、製薬会社Aに提供してはいかがですか? あなたのデータをもとに、より優れた痛風の薬を開発できるかもしれません」というオファーを出します。私が許諾すれば、製薬会社Aが希少なデータに対価を支払い、その一部が私に還元されます。これが、情報銀行が行うデータの「運用」の一例です。
── データの提供先を審査したり、データの運用をサポートしたり、情報銀行は、リテラシーがあまり高くない人でもパーソナルデータを利活用しやすい仕組みのように感じます。
総務省・経済産業省がこのコンセプトを打ち出すにあたっては、まさにそのような配慮もあったと思います。個人が多くのリスクを背負わなければならない欧州型のパーソナルデータストアは、日本の消費者にとってはかなりシビアな仕組みです。
日本の金融市場を見ても、投資信託や貯金など、多くの人が資産運用を第三者に委託している状況です。そうした背景も踏まえて、仲介役のプレイヤーがサポートする仕組み、つまり情報銀行という情報信託の仕組みが考えられたのではないかと想像します。(後編に続く)
[インタビュー・文]齋藤千明
[撮影]小池大介
[企画・編集]川畑夕子(XICA)
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