中学・高校でも必修化の流れ? データサイエンスは、未来社会を生きるための基礎教養

実現のヒント
イノベーションインタビューデータサイエンス実現挑戦

「VUCA時代」とも呼ばれる、変化が激しく先行き不透明な現代。そのような状況下で求められるのが、未来の社会をつくり上げることができる人材だ。

このような人材になるためには何が必要なのか。

この問題に教育の現場で向き合っているのが、数学者であり、慶應義塾大学総合政策学部の学部長も務めた河添建氏だ。河添氏は現在、東京女子学園中学校・高等学校の校長として、多様な課題に向き合い、多角的な視点で考え、解決策を導き出し、リーダーシップをもって具現化できる人材の育成を目指し、さまざまな教育改革に取り組んでいる。

2020年には、データサイエンスを取り入れた新カリキュラムをスタートさせた。なぜ、中学校・高等学校教育にデータサイエンスが必要なのか。データサイエンス教育は、未来の日本社会をどう変え得るのか。同校の教育改革を最前線で推進する河添氏に聞く。

POINT

  • これまでの数学教育は「失敗」だった
  • 日本の「偏差値至上主義」と「文理の分断」が、子供たちの課題設定力や問題解決力を奪っている
  • データサイエンスのリテラシーは、年齢を問わず、未来社会を生きるために必要
  • データサイエンス教育によって、膨大な情報を取捨選択し、課題解決するための基礎的な素養と主体的に考える力が身につく
東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏
東京女子学園中学校・高等学校理事・校長
河添 健(かわぞえ・たけし)

慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。理学博士。慶應義塾大学工学部専任講師を経て、2000年から総合政策学部教授、11~13年慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部長、13~19年総合政策学部長。20年4月から現職。専門は調和解析。

データサイエンス教育で、日本が“滅びる”のを食い止める

── 東京女子学園では、2020年にデータサイエンスを中学校・高等学校の必修科目にし、独自のカリキュラムを展開しています。他校に先駆け、この新しい試みに至った経緯を教えてください。

本校は、2020年に「Data Science, Design & Arts(DSDA)」という新しい教育プログラムをスタートしました。

VUCA時代(Volatility,Uncertainty,Complexity,Ambiguity)とも呼ばれる、変化が激しく先行き不透明な現代を、楽しく豊かに生きていくために必要な力として、本校では下図の5つを定義しています。

このうち、データサイエンスでは、データや数字を通して事象を考える力を。デザイン・アートでは、見えなかったものを見る視座を。

多様な課題に向き合い、多角的な視点で解決策を考えることが求められる時代に必要な「見えないものを見る力」「出せない答えを出す力」を身につけてもらうため、DSDAはスタートしました。

次世代社会を牽引するグローバル人材を教育する方法として「STEM教育」「STEAM教育」(*1)が注目されてきましたが、これらはどちらかというと理系向けの教育プラン。DSDAはこれをもっと広げ、データサイエンスを軸に文理融合した教育プログラムとなっています。中学・高校の6年間をかけて、データサイエンスのリテラシーを身につけます。

きっかけは、2020年4月に慶應義塾大学総合政策学部長を定年退職するのに先立ち、本校の理事長とお会いしたときのことです。中学校の入学者数が減少の一途を辿り、近年は定員を大きく下回るようになっていた東京女子学園は、改革の必要に迫られていました。

そこで、私がかねてから持っていた教育に関する問題意識も相まって、これまでにないまったく新しい教育プログラムをつくってはどうかと提案しました。日本が長年にわたって続けてきた教育の枠組みにとらわれず、日本の未来を変える人材を育てる教育。それがDSDAです。

(*1)STEM教育とは、科学、技術、工学、数学(Science, Technology, Engineering, Mathematics)の分野を統合的に学び、将来、科学技術の発展に寄与できる人材を育てることを目的とした教育プラン。STEAM教育は、これに芸術(Art)を加えたもの。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

── 数学者であり、慶應義塾大学総合政策学部の学部長も務められた河添先生。今回のデータサイエンス教育の導入にあたっては、こうしたバックグラウンドやご経験も関係していたのでしょうか。

私は数学者の一人として、また教育者の一人として、日本のこれまでの数学教育は「失敗」だったと考えています。そして、一刻も早く旧来型の教育システムから脱却しなければ、遠くない未来に日本は滅びるとすら思っているのです。

世界でも他に例のない、“偏差値至上主義”ともいえる日本の教育。生徒の成績評価も、中学・高校・大学など学校に対する評価も、偏差値とそのランキングに依存しています。

偏差値そのものに問題があるというよりは、偏差値を上げることが目的化してしまい、自らの夢を育てたり、物事にチャレンジしたりする精神が育ちにくくなっているのが問題です。今の日本の若者の4割は夢を持っていないというデータ(*2)もあります。テストでいい点をとり、いい大学に行き、いい会社に就職する──無批判にそうした“王道”を追いかけ続けてきた結果、課題設定力や問題解決力に欠け、重要な意思決定ができない国になってしまったと感じています。

(*2)日本財団「18歳意識調査」(2019年)
https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/11/wha_pro_eig_97.pdf
インド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツ、日本の17~19歳それぞれ1000人を対象に、国や社会に対する意識を尋ねた。「将来の夢を持っている」という質問に対して、日本以外の8カ国では82.2%~97%という高い水準となった一方、日本は60.1%にとどまった。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

また、偏差値偏重の教育システムの中で、文系/理系を分けてカリキュラムが組まれてきたこともマイナスに働いていると思います。文系を選択した人は数学を、理系を選択した人は国語や英語を極端にやらなくなる。いずれにしても、偏った知識・スキルだけが蓄積されていきます。

そして、失敗を恐れる風潮が、文理の分断をさらに深いものにしています。テストで悪い点数をとると「自分はこの分野は苦手なんだ」と思い込み、ますます遠ざけようとする。数学はこの傾向が顕著ですよね。偏差値偏重と文理分けに象徴される日本の教育が、“数学嫌い”を量産する結果を招いたと、私は考えています。

文理の分断は、日本にGAFAが誕生しないことの遠因にもなっていると思います。日本には優れた技術があるし、ビジネスのレベルも非常に高い。持っている知識の量や種類で言えば間違いなく世界有数の国です。しかし、多様な知識を横断的・総合的に組み合わせて、新しいもの・ことをつくり出すのが圧倒的に不得意です。文系だけでも理系だけでも、新しいものは生まれない。新しい価値は、文理融合によって生み出されている──それは世界でイノベーションを起こしている数多くの企業が証明しています。

そして、こうした状況を誰も正しいとは思っていないはずなのに、誰も変えられていない・変えようとしていないのが現状です。日本の未来を揺るがす問題の根源にある教育体系や社会構造を、いまこそ変えなければなりません。東京女子学園へのデータサイエンス教育の導入、DSDAの実践を通じて、そうはっきりと意思表示したいと考えています。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

教えたいのは「教養としてのデータサイエンス」

── イノベーションを創出し、未来社会をつくる人材を育てるためには、文理融合の教育が不可欠。その新しい教育の柱として、データサイエンスを立てられたのですね。

先ほどもお話ししたとおり、日本人の“数学嫌い”には根強いものがあります。中高一貫の女子校で、理系教育が大事だからといって「数学をやりましょう!」と真正面からぶつかっていったところで、上手くはいきません。

そこで、デジタル時代・データ時代のこれからの社会を生きていく上で不可欠な要素であり、ビジネスをはじめとするさまざまな領域で今後もますます注目が高まっていくであろう、データサイエンスを軸とするのが良さそうだと考えました。 ただ、教員のほとんどはデータサイエンスに詳しくありませんから、初めは理解・協力を得るのに苦労しました。DSDAの開始に先立って、週次で行う教員会の場で毎回15~20分ほどレクチャーの時間を設けるなどして、教える側の体制整備を行いました。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

── 中学生・高校生向けのデータサイエンス教育とは、どんなものなのでしょうか。データサインティストを養成するような、専門的な知識も教えるのですか。

DSDAは、データサイエンスのスペシャリストを養成することを目的としていません。

教えるのは、教養としてのデータサイエンス。未来社会をとらえるための、ものの見方・考え方の枠組みを身につけることに主眼を置いています。

DSDAの名称が示すとおり、授業ではデータサイエンスだけでなく、デザイン・アートも扱います。データサイエンスとデザイン・アートの組み合わせに違和感を持たれる方もいるかもしれませんが、どちらも、さまざまな課題を解決したり、これまでにない新しいものを生み出したりする上で重要な感性という点で共通しています。

また「データサイエンス」や「統計」という言葉に、自分には縁遠いものと感じ、漠然と苦手意識を覚える人も多いでしょう。

ですから、DSDAでは“問題ありき”かつ体験重視のカリキュラムを設計しています。「世の中にこんな問題がある。どうやったら解けるだろうか?」と取り組む中で、知らず知らずのうちにデータサイエンスの本質に触れ、基本的な素養が身につく。そんなプログラムを用意しています。

国を挙げた支援を背景に、大学でもデータサイエンスを学ぶ学部・学科・コースを設置するところが徐々に増えてきています。「データサイエンスを学問・知識として教えることで、日本でもGAFAのような企業が生まれるのではないか」という発想です。私はこの流れを、やや懐疑的に見ています。偏差値偏重の枠組みのまま、知識詰め込み型のカリキュラムでデータサイエンスを教えたら、かつての数学がそうだったように、かえって“データサイエンス嫌い”を生み出すことにならないだろうかと。

データサイエンスは、オープンソースが基本の世界。スペシャリストを目指したい人に向けては、さまざまな場や機会が用意され、広く門戸が開かれています。有名どころで言うと、フランス発の学費無料のITエンジニア養成学校「42」や、2017年にGoogleが買収したデータ分析コンペプラットフォーム「Kaggle(*3)」など。学校教育で教えずとも、実践を通じていくらでも知識やスキルを習得することができます。

中学生・高校生、大学生、ビジネスパーソンと年齢を問わず、未来社会を生きる広く一般の人に必要なのは、データサイエンスのリテラシーなのです。

(*3)企業や研究者とデータサイエンティストを結びつけるプラットフォーム。統計学、情報科学、経済学、数学に精通しているデータサイエンティストが多数登録されており、企業や研究者が投稿した課題をデータ分析して、最適なモデルを導くために競い合う。Kaggleのシステムはコンペ方式を採用しており、参加者の提示したモデルは即時に採点され、順位が表示される。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

── DSDAの具体的なカリキュラム内容を教えてください。

学習指導要領により定められた5教科(国語、社会、数学、理科、英語)の教科学習の時間以外に設けられた「探求学習」の時間に、DSDAを組み込んでいます。

東京女子学園中学・高等学校のDSDAプログラム一覧
出典:https://www.tokyo-joshi.ac.jp/junior/education/inquiry/

中学1年生では、コンピュータの仕組みを理解することから始まり、グラフを読み解く・グラフで表現するワークを通じて統計の基礎を学びます。中学2年生は「フェイクニュースにだまされない方法」など時流に沿ったテーマで情報リテラシーを学び、中学3年生は「3Dプリンターでものづくり」でデジタル・ファブリケーションを学びます。

高校生になると、「AIのキホンを学ぼう」でAIの仕組みを理解したり、「デザイン思考で我が家の改善」をテーマにデザイン思考のワークショップを行ったりします。近隣の企業・団体とコラボレーションしたプロジェクト学習も多く取り入れており、データサイエンスと社会のつながりを自然と感じられる内容になっています。

探求学習の時間だけでなく、国語・社会・数学・理科・英語や体育・芸術・家庭などの各教科学習の中にも、データサイエンスの視点を取り入れています。たとえば、家庭科の授業の一貫で、東京・練馬区に味噌蔵を構える糀屋三郎右衛門とコラボレーションした「味噌づくり」。一見データサイエンスとは関わりがなさそうですが、美味しい味噌をつくるには、実は温度・湿度といったさまざまなデータを活用することが欠かせません。 このように、中学・高校6年間の教科学習・探求学習の中で、さまざまな形で楽しみながら、データサイエンスの面白さや可能性を実感してもらいたいと思っています。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

主体的かつ文理融合で考えるから、未来は面白い

── データサイエンス教育によって身につく能力について、あらためて教えてください。

繰り返しになりますが、本校のデータサイエンス教育によって身につくのは、データサイエンスの知識ではなくリテラシーです。

世の中に流通する情報量は爆発的に増え続けており、もはや飽和状態です。膨大な情報の中から適切なものを取捨選択し、それを読み解いて、課題解決につなげていくための基礎的な素養。デジタルテクノロジーやデータの利活用によって実現する、豊かで暮らしやすい社会「Society 5.0(*4)」を生きる上で必須の、ものの見方や考え方の枠組み。文理の別なく必要なこの力を、体得してもらいたいと考えています。

(*4)2016年、内閣府が「第5期科学技術基本計画」で提唱した概念。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた「超スマート社会」を実現させるための一連の取り組みのこと。「経済発展」と「社会的課題の解決」が両立する人間中心の社会とも言われる。

それに加えてぜひ身につけてほしいのが、主体的に考える力です。

主体的に考える力とは、枠にこだわらずに多角的な視点で考え、正しい道を選択し、自立的・自律的に進んでいく力のことです。主体性がなければ、SF映画などで描かれるような「テクノロジーに支配される世の中」が現実のものとなってしまいかねません。

いまの若い世代を見ていると、社会に対して受け身で、決められた枠の中でそこそこ幸せに生きていければいいやと考えている人も少なくないように見受けられます。でも、そんな人生で果たして幸せでしょうか? 楽しいでしょうか? 未来の社会をより良く生きるために、自分は何をすべきなのか、自分はどうしたいのか。それを考え、実践するための基礎教養がDSDAです。

一人ひとりが主体的な社会とは、多様性を認める社会です。一人ひとりが主体的になるといろいろな意見が出てきますから、多様性を認めることが社会の基本ルールになります。その上で、多様な意見の中から本当にあるべき方向性を定めていくリーダーが、これからの時代に最も求められる人材です。しかし現時点では、主体的な意見がまだまだ少ない状態ですから、まずは主体的に考え動く人を増やすことから始めるのです。

データサイエンス教育が、古い慣習や旧態依然とした制度、固定観念にがんじがらめにされて、新しい価値をつくり出すことができない日本から脱却し、主体性で溢れた社会をつくるきっかけになればと願っています。

東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

── 世代を問わず、すべての現代人が身につけるべき教養。それがデータサイエンスの本質であると教えていただきました。ありがとうございました。

[インタビュー・文]齋藤千明
[撮影]小池大介
[企画・編集]川畑夕子(XICA)

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