人生そのものがインスピレーション——書道×ポップアートを生みだした書道家・藤原悠里に聞く、自由な組み合わせでつくる発想の秘訣

発想のヒント
インタビュー発想

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ビジネスシーンにおいて、「発想力」は固定観念にとらわれず非連続な成長を促す大きな力になります。しかし、それを鍛えるための方法はなかなか想像しにくいもの。そんな発想力を武器に、「書道をポップアートに」というコンセプトで作品作りをしているアーティストがいます。書道家の藤原悠里さんです。

藤原さんが作品に用いるのは、中国の殷・周時代から使われていた金文(きんぶん)と呼ばれる象形文字。洋画や日本画などのモチーフと組み合わせ、数多くの作品を生み出しています。

一見すると真逆にも思える書道とポップアート。「書道をポップアートに」というコンセプトは、どのように生まれたのでしょうか。また藤原さんは日々、どのように発想しているのか。これまでの活動を振り返りながら、ビジネスに活かせる発想のヒントを聞きました。

POINT

  • 日常のすべてが、その人独自の発想のもと
  • 自分のやりたいことを続けられることが「成功」
  • 知らない分野や関係のないジャンルに触れると良い発想が生まれる
書道家・デザイナー
藤原悠里(ふじわら・ゆうり)

1986年7月4日佐賀県生まれ、福岡県育ち。福岡県立修猷館高校、慶應義塾大学文学部社会学専攻卒業。6歳から書道を始め、師範免許を17歳で取得。2009年より写真の仕事を始める。現在は会社員として働きながら、アーティストとして創作活動を行っている。2015年以降都内を中心に展示活動をし、作品は国内外で販売されている。また、マクラメをはじめとした、紐・毛糸などを使ったファイバーアーティストとしても活動している。

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「書道×ポップアート」を生んだ「自由な書道」との出会い

—— まずは藤原さんと書道の出会いから教えていただけますか?

私が習字を始めたのは6歳の時。小さい頃から水泳やピアノなどたくさんの習い事をしていましたが、唯一楽しいと思って続けられたのが習字だったんです。

習字は「古典臨書」といって、お手本に倣って字を書く練習が一般的。小学校の授業で「交通安全」みたいな四字熟語を書いていた記憶がある人もいるかもしれませんね。習う書体も、楷書と行書の2種類、もしくは草書も加えた3種類程度です。

しかし、私が入った高校の書道部はわけが違いました。書体も字も、紙のサイズもバラバラで、思い思いに好きな表現をしていた。こんなに自由な書道があるんだ、とびっくりしたのを今でも鮮明に覚えています。

それと同時に出会ったのが「金文」です。金文というのは、紀元前1600年頃の中国で、青銅器に刻まれた文字のこと。金文に惹かれたのは、まずは見た目のインパクトでした。字なのに読めない、ということに不思議な魅力を感じたんです。

この時代に「字を残す」ということはすごくコストのかかること。「なぜ、字を書こうと思ったのか」「なぜこの字はこういう形になったんだろう」と、昔の人の思考に想像をめぐらせるうちにすっかり金文に魅了されていました。

—— 金文を使った書道に惹かれたところから、そこにポップアートを掛け合わせるという発想はどう生まれたんでしょうか。

昔と比べ、和室がある家は少なくなっています。書道作品を飾る場が減っていく中で、今の家にも飾れるような書道作品を作ろう、と書道部ではよく話していました。「洋室にも飾れる、掛け軸ではない形の書道作品とはどんなものだろう」と考えた先に生まれたのが、「書道×ポップアート」というコンセプトです。

字で絵を描く、という発想に大きく影響を受けているのはイスラム教の「アラビア書道」です。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているので、思想や世界観を表現するのにアラビア書道の文字を使います。字でそこまで表現する方法があるのかと、当時の私は衝撃を受け、そこから字で図形を描いた作品を作り始めました。

最初は丸(◯)の図から始まって、四角、三角といろいろな図形を表現するうちに、「人の顔を描いてみたらどうなるんだろう」と思いたち、人物画を書いてみることに。初めの頃は、書道の延長線上で白と黒、墨だけで描いていたんですが、今は陰影や目の形など、より細かな部分の表現には色を入れたり、もうひとつの趣味の手芸作品と組み合わせた作品を作っています。

イベント出展で7年ぶりに作品作りを再開。周りの評価よりも「描きたい」が上回った

—— 藤原さんは現在、一般企業に勤めながらアート活動をされています。高校卒業後、書道や作品作りは続けられたのですか?

高校卒業後、大学の書道会というサークルに入り、臨書をしながら自分の作品作りをしていました。周りには私のようなものを作っている人はいません。変わり者って思われていたかもしれない。でも、作品を見せながら「実はこれ金文っていう字なんです」と説明すると多くの人が驚いてくれるんです。その反応が面白くて作品作りを続けていました。

ただ、大学を卒業して一般企業に入社したのを機に、作品作りから離れていた時期があります。

デザイン職として働こうと考えたこともありましたが、美大卒を条件にしている会社も多くて……。それならばまずは総合職として就職し、デザインの仕事ができる機会を窺おうと考え、ケータイのコンテンツ制作会社に入社。ソーシャルゲームの運営に携わりつつ、少しでもデザインに触れようと、アバターのデザインなどにも関わらせてもらいました。

—— アートから離れて総合職で働いていた時期があった、と。

作品作りを再開するきっかけになったのは、仕事で関わった音楽×アートイベントです。「イベントに飾る絵を描いてみないか」とお声がけをいただきました。社会人になってから書道をやってこなかったので不安もありましたが、挑戦することに。

作品作りは7年ぶり。それにもかかわらず、いざ筆を持つと、まるで昨日までずっと書いていたかのように手が感覚を覚えていたんです。その時、「私には、これなんだ」と確信しました。

一度イベントに出展すると、その後のグループ展にも声をかけられるようになります。継続して作品作りをしていくなかで、アーティストとして活動しようと思えるようになりました。

実はそれまでの私は、「自分は下手だから絵を描いてはいけない」と、どこかでずっと思っていたんです。でも、たくさんの人から作品が面白いと言ってもらえたことで、私の中のあるその「縛り」は解けていきました。「絵を描いてもいいんだ」と思えるようになると、作品を作りたい気持ちが沸き上がってきます。周りにどう思われるかよりも、自分の描きたいものを描こうと思えるようになったんです。

私は絵を習ったこともないし、美術史を勉強したこともありません。だから、王道からは外れていて万人ウケしない作品を作っている自覚もあります。それでも何人か、唯一無二の世界観だと褒めてくれる方がいます。そうした方々に支えられて活動を続けることができているんです。

日常のすべてが、その人独自の発想のもとになる

—— 自分自身を抑えていた「縛り」が解けたことで、創造力や発想力が湧き出てきたんですね。アーティストとしての活動を再開された藤原さんが、作品作りやモチーフを発想する際に意識していることはありますか?

シンプルに、自分がいいな、好きだなと思うものを作品のモチーフにすることが多いです。日ごろ目にするもの、触れるもの、感じることの中で「いいかも」「好きだな」という感覚を大事にしています。人生そのものがインスピレーションというか、その中で浮かんだことを作品にしているというか。

生活している中で関わる出来事や人、そのすべてに無駄なことはひとつもないと思うんです。私が一般企業に就職したことも、音楽業界ではたらいたことも、絵を描くことができないスランプを経験したことも、一見バラバラに見える出来事はすべて今に繋がっています。

そもそも書道を始めたのも、たまたま親が通わせてくれたからですからね。もし油絵を習っていたら、油絵のアートを作っていたかもしれません(笑)。そうやっていろんな運や機会に恵まれながら運ばれていく行き当たりばったりな人生でも、与えられた機会には全力で飛び込むのが私の主義。

目の前のできること、自分が興味あるものにひたすら取り組んだ経験が、その人独自の発想を生み出すのかもしれません。習い事に通わせてくれた親も、まさか私がこんな道に進むなんて想像もしていなかったでしょうね(笑)。

そして、発想を発想で終わらせず、トライアンドエラーを繰り返すことも大切です。キャンバスに描いてみないと分からないことはたくさんあります。描く前はすごくいいと思っていたのに、いざ描いてみたらイマイチということも。

良い発想を形にしていくためには、頭の中で考えているだけではなく外に出すことが重要です。誰かに見たり聞いたりしてもらって反応をもらいながら、できる限りの試行錯誤と取捨選択を繰り返していくのが近道だと思います。

▲ 藤原さんが作品作りをするスペースの一角

—— 経験を糧にここまで生きてきた藤原さん。最後に、今後の目標を教えていただけますか?

少し前までは、アーティストとして食べていけることが「成功」だと思っていました。でも今は、自分のやりたいことを続けられることが「成功」だと捉えています。会社で働きながらアーティストとして活動できている今のような状態を、長く続けていきたいです。

私の場合、会社員だからこそ作品作りとのバランスが取れていると思います。音楽業界で働いていた頃、コロナ禍でイベントなどが後ろ倒しになり、絵を描く時間が多く持てた時がありました。最初は絵に集中できると喜んでいたんですが、そればかりに向き合っていると、いつの間にか描けなくなったんです。きっとひとつのことに没頭しすぎると、うまくインスピレーションが得られなくなるんでしょうね。

今でも、いいアイデアが浮かんでくるのは、知らない分野や一見関係のなさそうなジャンルに触れている時だったりします。本を読んだり、会社の仕事に取り組んだり、そうやって自分の世界を広げているほうが作品の発想が湧いてくるんです。

「字を使ってなにかを表現する」ことはこれからも変わらず続けていきます。ただ、その手段は金文だけではないかもしれません。平仮名や漢字、アルファベットなどを使った作品にも挑戦していきたいと思っています。

自分が興味あることや好きなことを続けていくのって簡単に見えて、本当に大変なことですよね。自分なりの成功を掴むために、これからも目の前のことに一生懸命取り組んでいきたいと思います。

[インタビュー・文] 佐藤史紹 
[写真]幡手龍二
[企画・編集] 川畑夕子(XICA)

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