【経営陣インタビュー】CTO是澤が「現代の吉田松陰」として次世代の“変革”をサポートする理由
これまでにない商品・サービス、ビジネスモデル、市場を生み出す「イノベーション」。企業成長や産業の発展に、イノベーション(=変革)は欠かせません。
では、変革を起こす企業に必要な要素とは何なのか。また、そうした組織で働く個人に求められる自己変革とは。本連載は「変革」をテーマに、サイカの経営陣4名の考えをお届けします。
「若い世代にポジションを譲り、自分自身をクビにしたい」と語るのは、サイカ執行役員CTOとして社内の組織変革に携わる是澤太志。彼はサイカという土壌を耕し、次世代が変革を起こしやすい環境を整えようとするなかで、組織・個人における「変革」をどのように捉えているのでしょうか。
サイカ執行役員CTO
是澤太志(これさわ・ふとし)
2000年にITエンジニアとしてのキャリアをスタートして以来、株式会社トーセ・株式会社シーエーモバイル・株式会社ALBERT・株式会社Speee・株式会社メルカリなど12社でテックリードやCTO、VPoEを務めた。2020年1月よりサイカに参画、同時にCTOに就任。また、合同会社クロスガレージのCEOとして複数社の技術・組織・プロダクトの顧問などもつとめる。
「自分をクビにする」ということを悟った瞬間
―是澤さんはこれまでに多くの企業でITエンジニアや技術顧問をされていらっしゃいますが、そもそもITエンジニアリングに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
もともとゲームクリエイターになりたくて、中学生の頃から独学でプログラミングをやっていたんです。18歳から20歳の頃は東京のゲーム系の専門学校へ行き、新聞奨学生として朝晩の新聞配達をしながら学校に通っていました。
ただ学校で配られたテキストを独学で勉強して半年で終わらせてしまったのと、学校のPCよりも自分で自作したPCの方がスペックが高かったので、途中から学校へ通う必要性を感じられなくなったんですよね(笑)。そこで新聞社の寮にネット回線を引き、新聞配達をしながらインターネット上でWebサイトを公開したりチャットサイトを運営したりして、独学でのインプット・アウトプットを繰り返すようになりました。
その後は学校へまともに通っていなかったので就職もできず、故郷である愛媛に強制送還されました(笑)。で、ある時、愛媛でITベンチャーを起業する人を紹介してもらい、エンジニアとしてジョインすることに。そこで働いているうちに、ITエンジニアリングが面白くなってきたんですよね。2000年当時、まさにITがこれから来るような状況でした。
そして2年ぐらいでまた東京に上京して、ゲームメーカーの子会社や事業会社をはじめ、さまざまな会社を転々としながら、ゲームやメディア、広告配信エンジンや検索エンジンなど幅広くモノづくりを経験させていただきました。
―では、現場業務から組織のマネジメントへと自身の役割がシフトしていったのはいつ頃ですか?
20代後半頃からチームのマネジメントを担うようになったのですが、本腰を入れたのは30歳になってからです。その頃からドラッガーやコトラーのような経営やマーケティング関連の書籍もどんどん読むようになりました。
そしてSpeeeに入社し、マネジメント責任者という役を任されてからは、一層“マネジメント”という役割に集中するようになりましたね。
3年ほど携わるうちに、Speeeは社外から「技術に力を入れている会社」と評価されるようになり、その成果もあって僕自身も徐々に他社から顧問などのお声がけが来るようになりました。
―サイカも当初は外部顧問として関わり始めましたよね。正式にCTOとしてジョインされた決め手は何だったのでしょうか?
そうですね。当時、自律した組織やチーム、人を育てる仕組みをつくりたい、という想いがあり、それがサイカの経営陣となら一緒にできそうだ! と思ったからですかね。
というのも、サイカに入る直前に在籍していたメルカリで、CTOの名村さんたちと一緒に仕事をさせていただいたおかげで、世界に目を向けた視座を身に着けることができてきたんですよね。海外の事例や組織について学ぶうちに、学んだことを小規模な企業で実証実験を繰り返す方が、自分の性格に合っていることに気が付いたんです。
サイカの規模感は、まさに自分の役割を全うできる環境としてピッタリでした。利益を何倍にも膨らませられるような組織づくりに携わり、多くの人を幸せにすることで自分自身の徳を積めると感じました。
何より「才能開花」という言葉にピンときた、というのもあります。僕は吉田松陰をリスペクトしているのですが、この言葉は松陰の考え方に非常に近いと思っていて。
松陰自身は大きな実績を残していませんが、私塾「松下村塾」で高杉晋作や伊東博文のように日本を変革する偉人達を育てた人物なんですよね。なので僕もサイカでは松蔭のような、次世代に想いを託す生き方ができるのでは? と思いました(笑)。
サイカで“時代を変えていく人たち”を育て、3年くらいで自分のポジションを誰かに渡そうと──よく僕は「自分をクビにする」という表現を使っているのですが、そういった想いもあって入社を決めました。
若い世代をエンカレッジ&エンパワーメントできれば世の中は面白くなっていく
―「自分をクビにする」とは強烈なパワーワードですね。
必ずしもマイナスではなくプラスの意味合いですよ(笑)。ある程度組織が安定してきたら、トップが入れ替わった方が新しい時代をもたらすし、そのほうが健全だと考えているので。“組織を育てる”という実績を残したら次の世代に託していこう、と。
こういうことを意識し始めたのはドラッガーを読むようになってからだと思います。短期間でさまざまに役割を変えていくとネガティブな印象になるのでは……と最初は不安でしたが、成果や実績が残ってさえいれば、意外と社会にはそういう人が必要とされてるように感じました。
それに気づけたからこそ自分をクビにして次世代にパスし、もっと新たな領域にチャレンジすることでより成長していこうと考え、行動するようになっています。
―次世代にパスする、というのは具体的にどういった行動を取ることになりますか?
大きく2つのやり方があるのではないかと思ってます。
1つは自分が土台を作って次の世代に渡すやり方と、もう1つはクサビを打ち立ててから自分が去るやり方。
例えば歴史や実績ある組織を根本的に変えるような場合は後者のようなやり方をせざるを得ない場合もあるのでは、と。
変化やハレーションを嫌う人が多数を占める組織に変革を起こすとき、誰かがアイデアを示し、従来のやり方を変革させる意志を見せないと、変化の兆しを起こすことはできません。そういう行為には反感を買うリスクもあるぶん、「自分が生贄になってでもやらなきゃいけない」という覚悟が必要になります。松陰だって、自分が批判を浴び続ける覚悟を決め、信念を貫いたからこそ、次の世代が世の中を変えることができたと思うんですよね。そういう意味では次世代にパスするときに僕自身が覚悟を決めリスクを負って取り組むことが次の世代の才能開花につながることがあるな、と。
―身を犠牲にしてまでの「次世代をサポートしたい」というモチベーションはどこから来るのでしょうか?
「モノづくりで世の中をより面白くしたい」という考え方からですね。情報や技術は時代とともにアップデートされていくぶん、最新の教育や新しいガジェットなどを当たり前に使いこなしてる若い世代の方が時代にあった高い能力を秘めた方が多いと思ってます。
なので、若い世代のポテンシャルを引き出し活躍できるように──彼らの可能性がもっと「解放」ができるようになれば、世の中はもっと面白くなるんじゃないかと思うんです。
そして才能開花し、好きなことをやっている若い世代のもとへ「この人を応援したら面白いことになりそう」と自然にお金が集まる世界になれば、可能性はより広がって世の中が面白くなると思うんですよね。
「それを叶えられたらすごい!」と周囲が思うほどの面白い考えをもったビジネスは、新たなイノベーションを生み出すきっかけになると思っているので、積極的にそういったチャレンジを応援したいんです。
例えば平尾さんの掲げる「世の中のあらゆる才能を開花させる」という目標って、もはや“ホラ吹き”と思われてもしょうがないくらいデカいですよね。でも、彼自身が本気で取り組もうとしているから面白いし、こちらも全力でサポートしたくなるんですよね。
変革を起こす人が自由に動ける環境を作る
―実際に、是澤さんはサイカでどのような変革を行ってきたのでしょうか?
僕がCTOとしてジョインした当初はもっとモノづくりの世界観で動ける開発組織をつくりたかったので、開発組織独自の評価の仕組みを導入したり、コーポレート組織ではなく開発組織内に特化した人事(DevHR)を編成するなど、理想の開発組織づくりを行うための独自の仕組みづくりを行いました。
このような部分最適的に一部の組織だけ特別な編成を取ると、普通ならそれ以外の部署からネガティブに捉えられたりもするのですが、平尾さんは僕の考えをリスペクトしてくれて全力でサポートしてくれました。
そのおかげで「自由度高くフレキシブルさをもたせながらコントロールして成果を創出する」開発組織づくりにチャレンジできています。
実はサイカ以前の話になるのですが、20代後半で組織のマネジメントに携わるようになった頃、「自由」という言葉を履き違えて大失敗をしているんです。
当時は「マネージャーにマネジメントされない、自由であることがマネジメント」だと思っていました。メンバーのことを放任し「自分のことは自分で責任をとれ」というスタンスで、メンバーの成果にも責任をもっていないマネージャーだったため、人を支援したり計画性をもって成長させたりという考えが足りなかった。そういう扱いを受けた人が不幸になっていってしまったからこそ、強く反省しました。
だからこそ、今では自由をもたせつつも「期待に見合った成果がでているかどうか」で任せる責任範囲の判断は下しますし、個々人のレベル感に応じて自由や権限を与えて変革に導くためのレールを用意するよう心がけています。
例えば新社会人で入社1年目であれば育成担当を付けて手厚いサポートや短期スパンでのフィードバックをしますし、逆に経験豊富で、すでに社内のメンバーたちから信頼が得られている人であれば、責任と裁量を持って自由度高くやれるようになります。
このように実力や過去の実績によってグラデーションを生み出すことで、最終的にあらゆる人が成長をし、組織に変革を起こしやすい環境になるよう意識していますね。
―個々人が変革を起こすために必要な要素とはなんだと思いますか?
「才能開花」をしていくことに対し失敗を恐れない本気度があるかどうか、が一番ですかね。
失敗を恐れ受け身になり、外からの指示を待ち続ける状態だと、スピードという面で成長機会を損失してしまいます。でも自発的な「やりたい」という意思を持ち、チャレンジし続けていけば気づいたらゴールまでたどり着いている。
チャレンジの中でもし失敗しても、本気で考え行動していれば学びは得られるし「次は失敗しないぞ」と思えるはず。そういった覚悟を持った人であれば「才能開花」のポテンシャルがあると思います。
―自分自身の変革に気づくことはできるのでしょうか? もし見極め方があれば教えてほしいです。
変革って知らないうちに「あ、変わっていた」って気づくものですよね。インターネットも気づいたら当たり前になりましたし、スマートフォンもそう。そして変革を起こしている本人が一生懸命なうちは、変わったことに気づかないものだとも思います。
そして変革を起こす人は常に「もっとできる」と考えているからこそ、悩みが延々に消えないものです。だからもし「自分が成長していない、変革を起こせない」と悩んでいるのであれば、その悩みのレベルが変化しているかどうかを確認するのが一番分かりやすいかもしれません。
子供の時は毎月500円のお小遣いで幸せになっていたのに、歳を重ねると500円じゃ足りなくなっていくじゃないですか。そうやって現状の仕組みに不満を感じ、悩みが成長していくほど、視野が広がりより高みを求めるようになっている。そういう人が世の中をどんどん良くしていくのだと思います。
ちなみに”変革”を起こすという意味では、面談や面接の場も変革を起こすのタネをまく場だと思っているんですよ。面接だと選考が進むうちに徐々に意識が変化する人もいれば、選考で落ちてしまったあとに気づき始め、1〜2年後に変身する人もいます。
ゆえに人との出会いは一期一会を意識するようにしています。人に気づきを与える変革のタネを植えることで、気づいたら変革が始まっていることもあるかもしれませんし。
※インタビュイーの所属・役職は取材当時のものです。
[取材・文]高木望
[編集]川畑夕子(XICA)