“どうしようもない悲しみ”をこの世からなくしたい

私事ではあるが、昨年の半年間、新規事業の立ち上げに参画した。やるべきことを決め、実行出来るチームを組み、「さあ」という所で頓挫した。スキルは揃っていたはずなのに、だ。だから私はサイカのチームはどのようにして動いているのか非常に興味があった。何がメンバーをチームを動かすのか。
まずは、サイカのCEOである平尾さんに話を伺った。印象に残っているのは、平尾さんを突き動かす原動力の強さ。経歴だけを見ると異色と感じるが、根底には1つの想いがあった。そして、バンドのような多様性あるメンバーがそろったチームは彼を中心に動いている。統計分析ツールを作っているのではなく、「どうしようもない悲しみ」を無くすため、全ての人が才能開花をした幸せな状態でいるために。何が足りなかったか。1年前の自分は気づかなかったことを聞かせてもらった気がした。

「父の会社が倒産した」から始まった人生のスタートライン

岩崎 裕司

今日はその立ち上げた思いの部分を聞きたいなと思っております。まずは、どういう経緯でサイカを起業されたのでしょうか。


平尾 喜昭

そもそもの想いでいうと13歳、中学1年生までさかのぼります。僕の父が務めていた会社が倒産たんですね。一介の課長だったんですけど、会社の倒産をコントロールできるわけもなくて、倒産することを知ったのが12時間前という、まさにどうしようもできない不幸でした。そして倒産後は本当に悲惨でした。ここでは語り切れない不幸が起きて、そのなかで疲れ果てていく父を見たときに、「この世には”どうしようもない悲しみ”というものがあるんだな」と感じたんです。それで、その”どうしようもない悲しみ”をどうにかしたいという漠然とした思いが中学の時に芽生えて、それが僕の人生の目標になったんです。

岩崎 裕司

父親のどうしようもない悲しみを肌で感じ、それを解決しようと。


平尾 喜昭

この会社を経営するまではずっとバンドをやってました。”どうしようもない悲しみ”をなくすためにできることを考えたときに、僕自身が音楽に悲しみを救われたりとか前向きになれたり、助けてもらった経験があったので、音楽で人の”どうしようもない悲しみ”をなくすことができるんじゃないかと思い、バンドマンを志すようになりました。
高校卒業してからプロを目指すようになり、音楽で食べていこうとするわけなんですけど、そこからサイカを創業するまでにさまざまなきっかけがありました。
まず、22歳のときに大学のゼミに入るんですけど、きっかけは音楽だったんです。音楽周りのマネジメントを学ぶためでした。当時ひょんなきっかけから韓国でライブができるようになったんです。そこで、韓国人と日本人のオーディエンスの違いを強烈に感じました。
たとえば韓国のオーディエンスって、知らないバンドが出てくると、「なんだなんだ」と前に来てワーワー騒ぐんですね。逆に日本のオーディエンスは、一回目のライブでは後ろの方で腕を組んで、まずは盛り上がらずに観察をする。だからと言って二回目以降のライブに来ないかと言うとそうではなくて、意外に二回目以降のライブも来てくれて成長の過程自体を楽しんでくれたりする。逆に、韓国のオーディエンスは一回目のライブ勝負で、初見がつまらないと二度とライブに来てくれない。こんなに違うと、目の前にいる韓国のオーディエンスについて、背景の違いをしっかり理解しないと、彼らが感動する音楽は作れないなと強く感じました。何が違うんだろうと考えた結果、一番の違いは政治経済だと気付きました。
そこで経済学を学ぶゼミに入りました。僕の所属していたゼミではストイックに経済政策を作らせるんですね。机上の政策ではなく、自分の考えた政策が経済に及ぼす影響を検証するところまで求められました。つまり、定量的な証明ができないとダメだったんですね。それがまさに統計分析との出会いでした。

岩崎 裕司

大学時代にサイカの武器である統計分析を学ぶんですね。


平尾 喜昭

ちゃんと数字で明らかにしなくてはいけない世界に触れて思い起こしたのは、父の会社が倒産するという原体験でした。父の倒産した会社は、昭和を代表する名経営者が作った会社だったんですね。彼の経験や勘にみんなが従って成功したわけです。逆に、彼の経験や勘に従い過ぎて総崩れした、そういった会社だった。もし彼の手元に”超定量的な世界”があったら、彼の経験や勘は正しく生かされて、会社もつぶれずに済んだのではないか、とゼミで学んだ時に思ったんです。

岩崎 裕司

“どうしようもない悲しみ”が統計分析によって解決出来たかもしれないと感じたわけですね。


平尾 喜昭

0.01%の可能性かもしれませんが、防ぐことができたかもしれない、少なくとも父の会社はそれにあたるんじゃないかと思いました。そこで点と点がつながり、統計分析をビジネス業界一般に浸透させることを自分の道にしようと「サイカ」を起業しました。もちろん、10年以上音楽で生きていこうと思っていた自分としては、本当に悩みぬいたうえでの決断でしたが、その分、強い決意を持った意思決定でした。

父の会社を救うことが、すべてのビジネスパーソンを救うことにつながっているんじゃないか

岩崎 裕司

統計の世界といっても、起業以外にも道はありますよね?


平尾 喜昭

それは、めちゃめちゃシンプルです。父親の会社が倒産したときに「この世に安定なんかない」と心から感じたので、勤めるという選択はありませんでした。本当の安定を手にするためには、自分の腕を磨くしかないと思ったんです。音楽を本気で志していた理由も同じです。また、データ分析や統計分析の活用されてる世界が金融や政治というハイエンドな業界に偏っていたということも、起業を選んだきっかけです。でも、そもそも僕の目的は「どうしようもない悲しみ」をなくす、父のような会社を救うというのがスタートなので、一般の企業、ビジネスパーソンが触れられる状態じゃなきゃダメだし、そういう会社はほぼなかったので、作るしかないと思いました。

岩崎 裕司

悲しみっていうのがハイエンドの世界のものだけじゃない、みんなにあるっていうところですよね。その「どうしようもない悲しみ」というのは統計で解決できるんじゃないかと大学で学んだわけですね。


平尾 喜昭

はい。大学で学んで、その提供する先としては、ひろくあまねくにしたかったから、どこかに属して一部のために貢献するのではなく、みんなのために貢献したいという場を作りたいと思い起業したっていうのがあります。

すべてのデバイスに”データ分析”という部品を提供をすること

岩崎 裕司

そのような想いがあって起業されたのですね。初めからプロダクトの提供を考えたのでしょうか?


平尾 喜昭

そのサイカも最初はコンサルティングで立ち上がったんです。僕たちがプロ向けの統計分析ツールを使えたので、クライアントから分析ニーズをヒアリングしてデータを頂戴して分析結果をレポートするという、分析コンサルをしていました。ただ1年弱走ってみて気づいたのが、外部者からのレポートだと、クライアントの意思決定に繋がらないんですよね。当たり前ですが、統計分析には「仮説」と、それを下支えする「問題意識」が必要不可欠です。だけど、僕たちがクライアント以上にクライアント企業の仮説や問題意識を持つことは難しくて、結局僕たちからのレポートは社内報告用の“一つの見方”程度にとどまってしまう。要は、アクションにまで繋がる納得感を提供し切れなかったんです。そんな状況を目の当たりにしてきたなかで、このまま外部者として分析レポーティングを繰り返すよりも、仮説や問題意識を持っているビジネスパーソン自身が扱える分析ツールを開発して提供した方が本質的に価値のあるサービスなんじゃないか、と思うようになりました。そのような経緯があり、2013年の10月、「アデリー」という「誰でも簡単に統計分析ができる」というコンセプトのWEBアプリケーションをリリースしました。それが統計分析のコンサルからプロダクトを作る会社になった、いわゆるサイカの第二創業でした。

岩崎 裕司

ステージがコンサル業からITになる。プロダクトを作って使ってもらうスタイルに移行したんですね。


平尾 喜昭

そして実は今、プロダクト提供企業としてさらに進化しようとしています。先ほど話した誰でも簡単に統計分析ができる「アデリー」というサービスですが、リリースから2年弱提供していたなか で、さらに見えてくる課題がありました。結局、アデリーを活用できていたのって、問題意識が強くて仮説がある方々だけなんですね。さらに言うと、仮説設計に向き合うことが業務である、という人でないと使いこなせていませんでした。ただ、そういう仕事にアサインされている人って、大きな企業でもほんの一部でしかない。結局、ほとんどの方々は企画職ではなくて、より顧客や消費者に近い視点で営業したり、マーケティングを実行しなくてはいけない。つまり、彼らをサポート出来ないと、本当の意味ではビジネスの業界をデータ分析でハッピーにできない、“どうしようもない悲しみ”は解決できないと考えるようになったんです。
そんな問題意識のもと、今のサイカは、営業やマーケティングというような“実業務に寄り添ったサービス”を開発する「業務ニーズ特化型」の分析アプリベンダーとして生まれ変わろうとしています。具体的には、営業マンの営業行動を分析できるアプリと、オンライン・オフラインプロモーションの効果をリアルタイムで分析できるアプリを開発しています。
ビジネス現場にデータ分析の価値を届けてこそ、“すべてのデータに示唆を届ける”という僕たちのビジョンは達成されると信じています。

岩崎 裕司

IT化が進み、センサーが増えているというところでしょうか。


平尾 喜昭

その通りで、センサー分データがある中で、そのすべてのデータに示唆を届けるということは、そのデバイスを提供している会社のネジとして、サイカの分析ツールがデバイスの部品として使われる世界を目指せたらいいなというのが、最終的な夢です。「全てのデータに示唆を届ける」というのが可能になるのではないか。「どうしようもない悲しみ」を統計分析によって減らせるのではないかと思っています。

誰よりもサイカを語る

岩崎 裕司

サイカの成功に向けて、CEOとしてのミッションは何なのでしょうか。


平尾 喜昭

社内に対してと、社外に対してがあると思います。社外に対しては、サイカの独自の魅力を誰よりも深く伝えることができる“語り部”になることが僕の仕事です。社内に対しては、迷ったときに戻ってこれる“軸”でありたいなと思っています。双方共に言えるのは、代表として、誰よりもサイカの夢を言葉にして、そこに向かって引っ張っていく役割を担っているんだと思っています。

才能開花とは

岩崎 裕司

サイカという社名は、「才能開花」からきているということですが、平尾さんにとって才能開花とはどういう状態なんでしょうか。


平尾 喜昭

才能開花って、だれかに勝つとか負かすとか、そういう話じゃないと思っていて、“もうやることは全部やり切った、あとは自分の才能で勝負するだけだ”と思い切れる状態なんじゃないかな、と思っています。さらに言えば、あとは才能だけだと言い切れるほどに情報を集め切って、自分を磨きぬいていくプロセス自体が、才能開花だと思っています。そして、その先には納得感や誇りに満ちた本当の意味での幸せが待っていると信じています。
今思うと、そもそも僕の原体験である「どうしようもない悲しみを無くしたい」という願いが強く反映された「才能開花」の捉え方なのかもしれません。


岩崎 裕司

もうこれ以上ないという納得感のあるプロセスが重要だと。それが才能開花している状況ということですね。本日はありがとうございました。

取材を受けてみて

平尾 喜昭

今回の取材を経て、僕自身の“どうしようもない悲しみをなくしたい”という「原体験」から、才能開花というXICAの「ミッション」、そして、現行の「事業(ニーズ特化型の分析サービス開発)」に至るまで、真っすぐ芯が通っているのだと強く再実感しました。取材時にも答えましたが、少しずつサイカという組織が大きくなってきている今、誰よりもこの芯をブレないものにして、かつ、より先の未来に繋げていくべく、しっかりと自分の言葉で社内外に発信し続けなければならないと覚悟を新たにしました。

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