社員紹介

和田 洋樹 Division Manager

2002年、立教大学経済学部を卒業後、中堅システム開発会社でシステムエンジニアとして医薬業向け物流システム開発に従事。2006年より大手SNS運営会社で決済・広告・コンテンツ監査システム開発など様々な開発案件に参画。2014年8月から株式会社サイカに入社。

インタビュー

課題を解決できれば、テクノロジーを使わなくたっていい

プロダクトディビジョンマネージャーを務める和田洋樹。サイカの武器である「統計プロダクト」を生み出すチームを統括している。プロダクトを管理するリーダーが1番に考えているのはプロダクトではなく、作り出すチームそのもの。自身の立場は「エンジニアの応援団」だと言う。
テクノロジーと出会い、ゲーム感覚で課題を解決することに面白さを感じた少年時代を経て、「エンジニアの応援団」は従事するチームメンバーを支えるために何が必要か、がむしゃらに考えていた。

課題を解決できれば、テクノロジーを使わなくたっていい

すべてのものは人の手で作られている

岩崎 裕司

いまの和田さんを形作ってる人生のきっかけを3つあげるとしたらなんでしょうか。


和田 洋樹

ひとつは、幼稚園のときに父親の実家から一軒家に引っ越すんですね。それで、何を思ったか外壁などの工事をすべて父親がやったんです。そのときに「すべてのものは人の手で作っているんだ」という感覚を覚えたことですかね。小学校のときに父が会社からパソコンをもらってきて、プログラミングをしたりして遊んでいました。

岩崎 裕司

当時、すでにプログラミングができたんですか?


和田 洋樹

はじめて触ったコンピューターは、父が会社からもらってきたNECのPC-8001っていう日本でも初期の頃のパソコンで、黒い画面に緑の文字が出てくるっていう。円を描くにも、円を描くコマンドがなかったので、当時小学生だったんですけど、三角関数を使って360°を1度ずつずらしていってピクセルを打っていくみたいなことをやってました。あとは、小学校に上がってファミコンが買ってもらえないから、パソコンでゲームをつくるっていう発想に自然となっていったんだと思いますね。

岩崎 裕司

パソコンがあれば、ゲームは作れるっていう感覚は普通になっていたと。


和田 洋樹

いまにつながっているところで言うと、小学生の高学年のころJRのみどりの窓口の操作盤をなんとしてでも真似したくて、発券システムを自分のコンピューター上で再現していました。 もちろん発券はできないんですけど(笑) 自分でプログラミングをしないとアクションが起きなかった時代を体験しているので、高校時代にインターネットを触れたときには衝撃でしたね。自分でプログラミングをしなくても、クリック1つでデータが飛んでくるっていうのがとにかく衝撃で「なんだこれは」と。当時インターネットが使えるコンピューターって市内の図書館の本館にしかなくて、郊外に住んでいたので15kmくらい自転車を漕いでました。ただ、行っても大したものはなくて、今のようなグーグルとかヤフーとか何もないので、NTTディレクトリっていう検索サイトから企業サイトとか大学の研究成果の発表みたいな数少ないサイトを見て「すげえ!」と面白がってましたね。

岩崎 裕司

15kmも! すごい熱意です。父親の影響で、ほしいものは自分で作るということが身について、パソコンでゲームやシステムを作る少年時代だったんですね。


和田 洋樹

もうひとつは、母親にある映画を見せられたことがあって。2本立てで1本目が『ドラゴンボール』とかだったんですけど、2本目が『はだしのゲン』で。それがトラウマになってしまって。少し後になって公開された『となりのトトロ』も怯えながら見るみたいな……。

岩崎 裕司

トトロも怖くなるほどですか!映画自体が怖くなるくらいに、幼少期の戦争映画を見たことが強烈な体験だったんですね。


和田 洋樹

最近も夢に出てくるぐらい今でも強烈に覚えてますね。トトロでメイちゃんが風を受けるシーンも爆風のシーンに見えてしまって。だからこそ、なぜあれが起きたのかという部分を知ることが恐怖を克服することだと思って、戦争の資料とか読んでどんな現象でなぜ起こったのかを調べましたね。

岩崎 裕司

トラウマを克服するうえで物事の観察と原因の追究が身についたんでしょうか。


和田 洋樹

いまでも、そういう問題が発生したときにはまずその恐怖と向き合わなきくちゃならないと。だから国が公開している報告書とかも読んだりしていますね。『はだしのゲン』の恐怖にひたすら向き合ってたという経験はそういう部分につながっているのかもしれません。

岩崎 裕司

過去のトラウマと向き合う中で、まずその問題がどういうものなのかを分解していって小さいものから調べていくという「問題を解決する手法」を身につけていったと。


和田 洋樹

もう1つは、新卒で入社したシステム開発を請け負う会社にいたころだと思います。
この業界はどうしても残業も多く、つらいことも多かったので、そのときに「誰も頼れない」と1人で背負ってしまったんですね。頼りにしていた上司も先に退職してしまって、どのプロジェクトも基本的には炎上案件の火消しをするような仕事で、あまりそこで成功体験を得られなくて、しんどいと追い込まれていた時期だったんです。


和田 洋樹

あるときに会社を辞めようと思ったきっかけがあって、同じフロアで働いている人が亡くなったんですね。前日までは普通に仕事もしていたんですけど。そのとき、「もし自分がそうだったらどうなんだろうな」って思ったんです。正直、「今頑張れば将来報われる」と思って親も頼らず頑張ってきていたんですけど、「今ってすごく財産だな」と痛感しました。今をきちんと生きるためには、他者ときちんと関わらなくてはいけないと。関わるというのは、普通にコミュニケーションをとるだけじゃなくて、頼るっていうのも1つの関わり方なんだなと思ったんです。実際にそれで親に負担をかけたってことはないんですけど、両親に「これから俺は転職したいから、もしかしたら実家で世話になるかもしれない」と言ってみたんです。それを乗り越えて、ちょっと自分が軽くなって、「好きなことをやろう」、「好きなことってなんだ?」と考えられるようになりました。

課題を解決できれば、テクノロジーを使わなくたっていい

まず、紙の上で解決できるかを考える

岩崎 裕司

エンジニアの道に進んだのはなぜなんでしょうか?


和田 洋樹

大学時代は経済学部経済学科で、勉強よりはアルバイトを頑張っていました。アルバイトは学校内のコンピューター教室の管理をしてました。もともとコンピューターが好きで、最初は受付とかアカウントの発行の手続きをサポートしたり、最終的には開発までしてました。

岩崎 裕司

開発ですか?


和田 洋樹

当時ちょうどiモード、ケータイのインターネットが出始めたころで、まだケータイのインターネットっておもちゃだと受け取られるような時期でした。ただ、休講情報をケータイで見ることができれば学校に行かなくて済む。これはキラーコンテンツだと思ったんですね。提案して受け入れられたのはよかったのですが、ウェブサーバーとかは作ったことがなくて、本当に試行錯誤して作ったというのがエンジニアの道に足を踏み入れた第一歩ですね(笑)

岩崎 裕司

アルバイトの学生にシステムを開発させるなんて今考えたらすごいですよね。


和田 洋樹

時給900円で作りました(笑)。当時、大手通信会社が主体となって構築したV-Campusというシステムがあったのですが、次第に私が作ったシステムが組み込まれていくようになって、コンピューター室の空き情報が見られるようにシステムを作ったり、コンピューター室が4階にあったので1階で確認できるよう捨てられた端末をキオスク端末に仕立て上げたり、学生のアイデアで自由にやらせてもらいました。

岩崎 裕司

学生時代に学内のシステム周りを整備する経験からシステムエンジニアの道を進んだんですね。テクノロジーで問題を解決したいという意識が強いのでしょうか?


和田 洋樹

当時までは、テクノロジーが使えればより良く解決できると思っていたんですけど、今ではちょっと違います。新卒で入った会社時代にあった経験で、当時会社の近くに大きな酒問屋があったんですね。毎朝トラックが来て出荷するために荷積みをしているんですけど、物流システムみたいなものがないんです。どうやっているかというとクリップボードに出荷伝票を括り付けて、上から下の車庫までひもでおろすみたいな。

岩崎 裕司

超アナログですね。


和田 洋樹

ある日、上司と客先へ向かうときにそれを見ながら歩いていて、上司と言ってたのは「彼らはこれで効率良く運用できてたら、それで問題はない」と、「だから私たちが出る幕ではないというのも時には必要かもしれない」というのを話していて、それから、そもそもシステムにする前に紙で解決できないか、という話をするをするようになりました。それ以来テクノロジーを使いたいというよりは、物事を整理したいまとめたいという意識のほうが強いんだなと気付いたんです。それで人が幸せになるなら、やり方はどういうやり方をとってもいいと思っています。

岩崎 裕司

問題が解決するなら、デジタルだろうとアナログだろうといいじゃないかと。


和田 洋樹

システムを知ってるからこそ紙の上手い使い方を知ってるかもしれないっていうのはあると思っています。例えば、銀行の伝票って業務フローをめちゃくちゃ考えて作られているんですね。ここをお客さんが書いてください、次はここに行員が記入してください、その次はここから機械に通してください、そうすると機械が印字するのでそこを見て検印を押してください、みたいな感じで、あの小っちゃい伝票の中にも手順が詰まってるんですね。それ見てすごいなって思ったりしています。

岩崎 裕司

業務フローの手順が詰まっている伝票もすごいですけど、そこまで見てる和田さんもすごいなと思います!私は伝票を見ても金額しか目に入らないです。幼少のころから観察するのは好きなんですか?


和田 洋樹

無意識に見てるんだとおもいます。元々小っちゃい頃から駅の発券システムを観察して真似したこともありますし、POSレジが導入されたときも「ただの電卓からコンピュータになってる!」とめちゃくちゃ驚きましたね。


岩崎 裕司

現象を見て、その仕組みや運用がどうなっているのかを観察しているんですね。そして、問題を解決する方法はアナログでもデジタルでもいいということですね。

今は「がむしゃら」に課題解決をしていきたい

岩崎 裕司

いまはサイカで仕事をしていて、これからどう生きていきたいかとか展望はあったりしますか。


和田 洋樹

この1年何か月間かキャッチアップしてきて思ったのは、とにかくがむしゃらにやっていきたいなと。手触りのある課題をテクノロジーで解決したいという軸はぶれていなくて、この会社ってまだまだ課題はあるはずですし、今はそこにがむしゃらに取り組んでいきたいなと思ってます。大企業っぽくやっていきたかったら前の会社にいればよかったので、ここでもう一度原点に立ち返って、色々経験を積んでいるはずなのでそれらを武器にいろんな問題を解決していきたいなと思います。

課題を解決できれば、テクノロジーを使わなくたっていい

エンジニアの応援団───関係性のシステムエンジニア

岩崎 裕司

いま情熱を持って取り組んでいること、取り組みたいことはなんですか?


和田 洋樹

ディビジョンマネージャーという立場になったので、みんなのいいところを引き出したいなと思ってます。みんなのいいところをきちんと組み立てて、大きく育つような環境を作りたい。今まで業務系の仕組みづくり、システム構築をしてきたんですけど、今は関係性の仕組みをうまく作れたらいいかなと思っています。基本的にチームってみんな自律的に動いてくれるものだと思うので、ほっといてもいいものが作れるような、仕組みなり環境なりが作れたら僕は楽しいかなと思います。

岩崎 裕司

なるほど。モノや情報のシステムではなく、人が自律的に物事を考えて回していくチーム、関係性の仕組みや環境を作ることが今後の理想ということですね。


和田 洋樹

モノとかの仕組みづくり自体は、うちの社員は喜んで作ってくれる人が多いかなと思っていて、僕はどちらかというとそれを応援する立場かなと思ってます。

岩崎 裕司

和田さんはサイカのなかでどんな仕事をする立場にいるとご自身で思われますか?


和田 洋樹

「エンジニアの応援団」ですかね。みんなに「がんばれー!」っていう(笑)。1人で作れるなら会社にいる意味がないって長い間思っていて、1人でやれないからこそチームでやるので、チームがチームでいられるような環境を作ってあげたいです。

岩崎 裕司

1人でできないからチームになり、また集まっただけではチームではないと。


和田 洋樹

そうですね。1人では限界があると思えることが大事だし、この人たちでやる意味があるんだと思えることが重要だし、そういう信頼感を持った中で仕事をするというのが重要で、その環境を作れるのが僕の仕事なのかなと。

岩崎 裕司

少年時代までずっと観察して自分の手でゲームやプログラムをしてきた和田さんがチームを意識するというきっかけはどこなんでしょうか?


和田 洋樹

学校のシステムをプログラミングしていたときは1人だったんですよ。「やろうと思えばできるよ」と当時は結構天狗になっていて、新卒研修でその鼻を折られるんですね。明らかに1人で回らないような量の作業を与えられて、失敗させられて1人じゃ無理でしょと。プライド高い連中を集めてグループワークをさせて、また失敗させられる。1人でやろうとすると限界があること、会社ってそういうものじゃないからと叩きこまれたんです。その原体験を持った仲間がいて、やっとチームでこなしていくと。

岩崎 裕司

そこでチームとしての成功体験を持つわけですね。それまで和田さんの原体験の中でチームプレイってあまりないですよね。


和田 洋樹

ないですね。ずっと1人でコンピューターいじって、ゲーム作って、大学のときも自分で1人で作って、バイトのリーダーもやってましたけど、事細かく、自分の思い通りにやるように指示する感じでした。だからこそ、研修のときのグループワークでチームの重要性を痛感しましたね。みんなの知恵を集めないとできないことを学んで、共通体験をすることで共通言語が生まれるということも体感しました。


岩崎 裕司

そういう経験を通して、チームがチームでいられるような環境を今では作りたいと、応援したいというところに繋がってくるということですね。

課題を解決できれば、テクノロジーを使わなくたっていい

才能開花とは…

岩崎 裕司

それでは最後の質問なんですけれど、和田さんにとって才能開花というのはどういう状態なんでしょうか?


和田 洋樹

「自分自身の仕事が無くなること」ですかね(笑)。基本めんどくさがりなんで、仕事したくないんですよ。だから、チームのメンバーが自律的に問題を解決できるという状態が1番正しいんですよ。そのためにはちゃんとビジョンを共有できている必要があるし、チームが自律的に働ける仕組みを作らなくてはと思います。

岩崎 裕司

ご自身が不要になるほど、自律的なチームができたら才能開花だということでしょうか。


和田 洋樹

「め組の大吾」という消防士が主人公の漫画を読んでて、その最後で伝説的な存在になった主人公が「俺は俺が不要になるために生きている。それでいいじゃないか。」と言ってるんです。消防士がいらない状態、つまり火災が起きない状態を目指すのも面白いんじゃないかといって終わるんですけど、それに共感しています。


岩崎 裕司

問題、課題とか人の悩んでいるところをアナログな部分を含めたどんなやり方でもいいから解決する、解決したら自分がいらなくなる、それでいいじゃないかと。解決した状態がハッピーだということですね。本日はありがとうございました。

取材を受けてみて

和田 洋樹

5年に1度くらい、何かしらのメディアで過去を振り返る機会に出会うのですが、日々がむしゃらにやってるだけなんですが、それっぽい道になっていて面白いなーと思います。そして、前に振り返ったときには絶対に予想してなかったようなエキサイティングなことになってるな、と思います。次の5年はどうなっていくのか楽しみです。