サイカ顧問・星野崇宏教授インタビュー後半

人工知能や機械学習で見えない消費者の姿をマーケティング・サイエンスは解明する─ サイカ顧問 慶應大学 星野教授インタビュー(後編)

サイカの顧問である慶應義塾大学 経済学部・大学院経済学研究科教授の星野崇宏氏へのインタビュー後編です。人工知能や機械学習のアルゴリズムを使えば、データを通してブラックボックスが見えるようになるのでしょうか?マーケティング・サイエンスの視点からお話を伺いました。

<前半を読む>

星野崇宏氏について
東京大学大学院(学術)と名古屋大学大学院(経済学)で博士号を取得。その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、シカゴ大学、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(いずれも米国)の客員研究員、名古屋大学経済学部と東京大学経済学部の准教授などを歴任。経済活動を統計学のアプローチによって科学的に研究するマーケティング・サイエンス、行動計量学、行動経済学、がご専門です。経済学、心理学、統計学など幅広い分野を研究されてきた星野教授は、オンラインでの広告接触や購買行動、さらには量販店などでのフィールドワークにおいてリアルな人の購買行動を研究。その意思決定の過程や要因、つまり“人はなぜモノを買うのか”というマーケティングの根幹を、心理学・統計学のアプローチで分析することを得意とされています。

マーケティング・サイエンスに対する日本と海外の温度差

サイカ:

日本におけるかつてのマーケティングデータ分析は、今とはどのような点が異なったのでしょうか。また時代と共にどのような変化が生まれたのでしょうか。

星野教授:

ご存じのとおり、日本ではマーケティングにおけるデータ分析に対する投資はこれまであまりされてきませんでした。分析ができる人材もいなかったし、多くのビジネスパーソンにとってはマーケティングを学ぶことはケーススタディを学ぶことだったのですから。得られるデータは市場調査で得られるアンケートが主で、消費者の意識的・表面的な部分だけ。もちろんデプスインタビューなどの定性的な調査なども行われてきましたが、インタビューアの力量にも左右され、また多様なライフスタイルと好みを持つ人にアプローチしにくいなど、出来ることは限られていたわけです。それが、ここ数年で大量の行動データを取得できるようになったことで、分析の重要性は非常に高まりました。

サイカ:

海外におけるかつてのマーケティングでも同じような状況だったのでしょうか。

星野教授:

欧米はやはりその点が進んでいて、経済学・統計学・消費者心理の3つの分野が融合したマーケティング・サイエンスという分野が70年代には確立し実務への応用も盛んでした。例えば、スーパーにおいて値引きしたことで消費者の動きはどう変わるのかといったデータをきちっと蓄積し、分析するという取り組みが早くから積極的に行われていました。例えば売れないからといって値引きして一時的に売れても、いったん値引きされた価格が消費者の記憶に定着してしまえば、値引き前の価格に戻すことは“値上げ”と受け止められ、買え控えが生まれる、といったいわゆる参照価格効果。他にも値引きは競合からのブランドスイッチはさせるが、ブランドロイヤルティーには繋がらない、値引きよりもブランド育成を進めることが有効だという結論が1980年代にはすでに導きだされ、マーケティングにおけるスタンダードな考え方になったわけです。

一方、日本ではつい最近まで日々膨大に蓄積されるデータはせいぜい店舗間比較が可能な程度に集計され、それ以外は捨てられてしまうというぐらいでしたから、こうした知見は当然現場レベルには浸透していません。現場の短期的な視点では“値引きすれば売れる”“担当が変わったあとは知らない”わけですから、値引き競争が加速する。“価格を維持する”ということの重要性やマーケティングに対するリテラシーの低さが日本でデフレが起きた原因の一つと言えるのではと考えます。
情報を意思決定につなげることが価値であるという認識の欠如は、マーケティングのみに限らず日本の社会全般に言える現象ですよね。

サイカ:

それは今でもあまり大きく変わっていないのではないでしょうか。“マーケティング×データ分析”の領域はまだ日本で進んでいない部分だと感じます。

星野教授:

海外の一流ビジネススクールのマーケティング部門には経済学、統計学、心理学を出自とする研究者がいます。経済学者は競合他社や市場環境の変化によって起こるマーケティング戦略の違いについて議論できます。統計学者は膨大なデータの背後にある構造を高度な統計手法からあぶり出せます。心理学者は精緻な実験手法や脳機能計測をもとに消費者の行動のメカニズムを探求します。彼らが企業と共に研究することで、リアルなデータから学術的な批判に耐えかつ実務に役に立つ知見が生み出されています。

一方、日本の商学部や経営学部ではまだまだ過去の成功例をもとにした事例ベースの“お話しマーケティング”が中心であり、当然ながら実務家のニーズを全く満たすことができません。実務家は結局システムを作ってくれるシステムベンダーなどの工学屋さんにお願いしがちですが、彼らは海外のマーケティング・サイエンス分野で行われている膨大な研究知見などは知らないので、画像処理や言語処理などまったくメカニズムの違う所で生み出された単純なアルゴリズムを転用し“マーケティングに特化した人工知能”と盛って高い価格で提供する。それを、これまで基礎的な統計解析もしたことがない、データも捨てていた実務家が使えば、それは何もやらないよりは十分高いアウトプットを得られる、そこで次も工学屋さんにお願いしようということになるが、それは本質的な解決ではないのでそれ以上改善することはできない。実は「その課題、データが無くてもすでに先行研究から答えはあります」と言えることも多いのに、ですよ。今、日本で起きているのはそういうことです。

マーケティング・サイエンスは日本のマーケティング活動をどう変えるか

サイカ:

日本で海外のようなマーケティング・サイエンスへの意識が根付いていくためには、何が必要だとお感じでしょうか。

星野教授:

日本では消費者の行動のメカニズムを踏まえたマーケティング・サイエンスの人材育成が進んでいないということは残念なことです。さらに、経営側も海外のビジネススクールで学んでいる人でなければ、マーケティング・サイエンスの重要性はあまり認識できず、「ビッグデータ×人工知能でなんでもできる」的なシステムベンダーの売り文句に騙されやすい。しかしそういったシステムから出てくるブラックボックス的な結果は、現場の打ち手レベルに落とし込むことはほとんど不可能です。

その結果、企業は短期的な最適化だけに留まってしまい十分な利益を上げることができない。そのため投資してイノベーティブな製品を作ることもできず消費者のメリットも生まれないのです。こうした悪循環を断つためにも、マーケティングのメカニズムを解明して長期的な最適化を生み出すマーケティング・サイエンスを担う人材の育成は急務だと思うのです。そのためにも、私たちのような研究者が様々なリアルのデータを保有する企業と組むことでマーケティング・サイエンスの有用性を実務に活かしていくことが重要だと考えています。それによって、企業にとっては無駄な値引きや意味がないプロモーション活動が最適化できることで利益が生まれ、より質の高い商品開発や研究ができるようになるはずです。

加えて、マーケティング・サイエンスが進むとマーケティング活動の現場も大きく変わるのではないかと思います。つまりマーケティングKPIのフォーカスが大きく変わるのです。売上そのものが指標になるのではなく、長期的に見て売上にとってどのような指標が売上に貢献し、評価されるべきかがわかることで、何に注力をすればいいのかが見えてくるのです。マーケティング・サイエンスによって見えてくるのは、売上が生み出されるメカニズムであり、結果的に今まで注目していなかった施策が大きな貢献を果たしているという発見が生まれることもあります。結果だけにフォーカスを当てていたKPIから売上に貢献するアクションをKPIにすることができるようになるのではないでしょうか。

XICA magellanを通じてマーケティングのメカニズムを解明し、企業と消費者に還元したい

サイカ:

最後に、今回サイカの顧問に就任されたことに対する期待をお聞かせください。

星野教授:

サイカさんが掲げている“すべてのデータに示唆を届ける”というビジョンには大変共感しております。データが持つ可能性を信じている一方で、データを持っているだけでは役に立たないものだと思っています。世の中には、学生でも作れるような人工知能や機械学習のアルゴリズムを使って、“データさえあればブラックボックスが見える”と標榜して提供されているようなツールがたくさんありますが、それで消費者のココロや競合他社の行動、現場で起きていることなどのブラックボックスが見えることはないし、私はこうした眉唾ものをマーケティング・サイエンスによる消費行動のメカニズム解明によって駆逐したい。

とはいえ、私も人工知能や機械学習そのものを否定するわけではありません。かくいう私も人工知能系の学会誌にも研究論文を出しています。大量のデータから仮説を立てていくためには、そこに存在する共通性やパターンを抽出した上でメカニズムを分析していく必要があり、人工知能や機械学習はこういった前処理的な点で貢献します。重要なのはデータの分析や分析結果ではなく、そこからどのような知見を蓄積してアクションを変えていけるかということです。

“すべてのデータに示唆を届ける”取り組みをサイカさんとご一緒させていただくことで、企業にとっても消費者にとってもメリットのあるマーケティングを生み出すことができるのではないでしょうか。「XICA magellan」が様々な企業に導入されることで生まれるデータからマーケティングのメカニズムを解明し、それを製品にフォードバックすることができれば、より精密なマーケティング・サイエンスを企業に提供できるのではと考えています。