連載「デジタルマーケティングのその先へ」第1回

デジタルマーケティングの登場がマーケターにもたらした変化と課題

企業のマーケティング活動にとって当たり前の手法として定着したデジタルマーケティングの登場は、効率化やコストパフォーマンスを向上させる手段として語られることが多い。しかし一方で、デジタルマーケティングの登場は企業のマーケティング活動に様々な変化をもたらし、課題を生み出しています。中央大学 大学院戦略経営研究科(ビジネススクール)の教授で経済学博士の田中洋先生にお話を伺いました。

経済学博士の田中洋先生

どの企業にも通じる“理想的なマーケティング”は存在しない

――最初に、デジタルマーケティングの登場によって企業が追求すべき“理想のマーケティング”はどのように変化しているのかお聞かせください。

“理想のマーケティング”というのは、非常に考えるのが難しい概念です。

かつて(デジタル以前)、マーケティングというのはFMCG(ファスト・ムーヴィング・コンシューマ・グッズ:食品や日用品、薬品など安価で消費者の購入サイクルが短い商品)向けのものが中心でした。メーカーは、全国の小売店に商品を大規模展開し、同時にテレビCMなどのマスメディア広告を大量に投入する。そして、消費者が店頭を訪れた際にその商品を買ってもらう確率を高めるのです。FMCGを手掛ける多くのメーカーにとって、そのスタンスは今でも変わることなく続いていて、デジタルマーケティングは補助的な役割を果たしているのが現状です。

ではデジタルマーケティングの登場によってマーケティング環境はどのように変化したのでしょうか。インターネット広告は、大手企業だけでなく、これまで広告そのものを展開してこなかった新興企業や新興ビジネスなどにも門戸を開きました。その結果、大手メーカーだけではない領域に広告主が拡大しています。これを私は“マーケティングの民主化”と呼んでいますが、従来はマーケティング活動そのものができなかった中小企業、新興ビジネスにも可能性を生み出し、サイカのようなマーケティングテクノロジーを生み出すベンチャー企業も生み出しました。そして今では消費者自身も(行動ターゲティングなどにデータを提供することを通じて)企業のマーケティングプロセスに参加するようになり、企業活動と消費者の行動が混然一体となってきたとも言えます。

それにより、マーケティングのアプローチも広告主によって異なるものになってきました。FMCGが中心の時代と比べて、“これがマーケティングの王道だ”、“これが理想のマーケティングだ”というものが存在しない時代になったのです。例えば、マーケティング活動で重要な作業のひとつに「広告効果の予測」というものがありますが、実は(メソッドがひとつしかない)昔のほうが予想しやすかった。インターネット広告は効果を数値化できるので予想しやすいと感じるかもしれませんが、メソッドが複雑化したことで、マーケティング活動全体の効果を予測することは難しくなってきています。どの施策にどの程度広告を投下すると効果を最大化できるのかということが、社内の誰もわからないという状況が生じているのです。

まとめると、広告主の業種・業態、広告したい商品・サービスに応じて、“理想のマーケティング手法”が個別具体的になってきている。どの企業でも通用するような絶対的な“成功の方程式”は存在せず、広告主が自分自身でマーケティング施策の全体像を把握し、最適なマーケティング戦略を導き出す必要が生じているのです。

経済学博士の田中洋先生

企業のマーケティング活動は“分業”から“共創”へ

――こうしたマーケティング環境の変化に応じて、企業が消費者のニーズを把握してマーケティング活動に取り組む姿勢はどのように変化しているのでしょうか。

かつてのマーケティングは、データ分析を担当する人、クリエイティブを考える人、出稿メディアを決める人など、組織内の役割分担がはっきりしていて、それぞれが自分の役割を果たすことでマーケティング活動が進行する“分業制”で行われていました。しかし、現在のマーケティング活動は、収集したデータを組織のすべての担当者でディスカッションしなければ、「次にどのようなアクションが必要か」という問いに対して適切な答えが導き出せない状況になっています。

というのも、デジタルマーケティングによって収集されたビッグデータを可視化する方法として様々なものが生み出されていますが、可視化したデータをどのように解釈すれば気づきが発見できるのかということは、データは教えてくれません。その解釈を様々な立場の担当者が集まって検討する必要があるのです。消費者のニーズを把握する作業についても、ひとりの担当者に任せるのではなく、組織が知恵を寄せ合わなければ上手くいかないのです。そこでは、マーケティングによって生まれたデータを速やかに可視化し、そして組織の中で共有できる仕組みが必要だと言えるでしょう。

経済学博士の田中洋先生

「未知のニーズはどこにあるのか」これこそがマーケティングの挑戦

――データの活用とそこからの消費者ニーズの把握は、多くの企業のマーケティング活動にとって大きな課題でもあります。

難しいのは、マーケティング活動の“着眼点”と言える消費者のインサイトを把握するということではないでしょうか。ここで言う「インサイト」とは、極論を言うとマーケターも、そして消費者自身もわかっていないもの。ある商品に対する消費者のニーズは多様であり、言うまでもなく当たり前だと思えるものも存在しますが、その中でも消費者自身が自覚していなかった内なる“未知のニーズ”がどこにあるのかをマーケターが考え、仮説することがマーケティングの最も重要な課題であり、挑戦でもあるのです。

テクノロジーの進化によって人工知能(AI)のような考えも生まれていますが、AIは過去を再現することしかできず、未知のインサイトを発見することはテクノロジーによって解決することができません。いつまでもマーケター自身が取り組まなければならない命題ではないでしょうか。

経済学博士の田中洋先生

消費者の意識変化にモーメントバイモーメントで対応する

――情報があふれる現代において消費者の意識変化のスピード、ニーズの出現・消滅のスピードは非常に早く、それに合わせて企業はマーケティング活動にリアルタイム性や高速PDCAの運用が必要になるのではないかと感じます。

従来型のマーケティング活動は、3か月くらいの“キャンペーン”を単位として動き、始まりと終わりの期間を決めて走るものでしたが、デジタルマーケティングの登場によって企業のマーケティング活動には切れ目がなくなってきています。消費者の購買意欲は季節、天候、世の中の出来事などによって目まぐるしく変化し、購買行動はリアル店舗だけでなくネット通販などで24時間行われます。企業はそうした消費者の置かれている環境に対してモーメントバイモーメントで対応しなければなりません。デジタルマーケティングに終わりはなく、毎日きめ細かく調整を行い、アプローチの方法も変えていく必要があるのです。

ちなみに、現代社会は情報過多だと言われていますが、実は世の中の人々は情報消費に困っているわけではありません。実は動画コンテンツなどでは膨大な情報を効率よく吸収できるほか、人には本能的に自分の情報処理能力を超えた量の情報をスルーする習性があり、自分自身に届く情報が膨大になってもストレスは感じません。むしろ企業にとって重要なのは、消費者が何を基準に情報を取捨選択し、どのように情報を消費したりスルーしたりしているのかという実態を把握することであり、どうすれば効率よくムダなく必要な情報だけを消費してもらえるのかを考えること。どうすればアウトプットした情報が消費者の心をつかみ、消費してもらえるかを考え、試行錯誤する必要があるのです。

田中先生のお話の中で、様々な産業の広告主が豊富な選択肢の中から消費者へとアプローチしていく現代のマーケティングには“成功の方程式”は存在せず、企業自身が個別具体的にマーケティング戦略を考えていく重要性が挙げられました。そこで求められるのは、自社のマーケティング活動の全体像を把握するための精緻なデータを収集することと、それを基に様々な仮説を立てて検証するということ。しかし、矢野経済研究所が行った『広告効果測定のためのデータ活用に関するアンケート調査』ではプロモーションを行うマーケターの93.1%が「マーケティングにデータは必要だ」としながらも、広告だけでなく外部要因も含めた複合的なデータ分析を実践しているマーケターはわずか16.0%にとどまっています。この理想と現実の大きなギャップが、現在のマーケティングにおける大きな課題だと言えるのではないでしょうか。

第2回に続く>